「何から手をつけて、何をすればいいのか…」
奥津比咩神社の大祭は、海士町の一大イベントだ。神輿の担ぎ手は化粧をして女性を装い、海の中に入って威勢よくもむ。海士町の外に家を移しても、自治会を抜けないのは、この祭りが人々の気持ちをつなぎ止めている面があるからだ。
それなのに激しく被災してしまった。橋本さんは「新型コロナウイルス感染症の流行で3年開催できず、昨年ようやく復活させたばかりでした。いろいろ反省点はあったけど、また今年も頑張って開催しようと話し合っていたところでした。神輿を格納した倉庫はなんとか助かったようですが、神社や寺の再建に自治会員の皆さんに協力をお願いするどころではありません。それぞれ住む家がないのです。漁師は仕事もありません。今回の地震で漁師を廃業せざるを得なくなり、祭りもできないなら、自治会を抜けるという人が出かねないところまで、私達は追い詰められています」と苦しげに語る。
「それでも食い下がって自治会を維持していきたい。でも、何から手をつけて、何をすればいいのか。私達自身が戸惑っている状態です」とうなだれる。
「早く港を再建してほしい」海士町の漁師全ての願い
ところで、橋本さん自身は漁を続けるのか。
#1で述べたように、自宅は2階部分が潰れてしまい、一度更地にしてから建て直さなければならない状態だ。あまりに酷い被害を考えると、「地盤が弱いのかもしれず、同じ場所で建て直して、また被災しないのか」という不安にもかられる。
底引き網漁の漁船は父の時代に造ったので古い。26歳の長男が跡を継ぐべく、一緒に漁に出てきたが、先が見えないだけでなく、漁業そのものを取り巻く環境も厳しい。
「これを機に漁をやめてもいいぞ。陸に上がるなら、輪島にいる必要はない」
橋本さんは被災後、長男にそう話したことがある。
長男は「漁師を続ける」と断言した。
この言葉に意を強くした橋本さんは、「家を建て直して、また漁に出よう」と腹を決めた。
そして「早く漁に出られるよう、港を再建してほしい」と願う。これは長男だけのためではない。海士町の漁師全ての願いだ。
輪島港では海底の隆起で動かせなくなった船を救出すべく、国交省が港の浚渫を始めた。ただ、前例のない工事で、手探りで進めているのが現状である。
375年も続いた「奇跡の集落」。存続できるかどうかの岐路に立たされている。