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 それでも、各アタリの代表が漁場の運営などを話し合い、奥津比咩(おきつひめ)神社の氏子総代や、法蔵寺の檀家総代をアタリから出すなど、独特の自治は続いている。

町の漁師は全員が失業状態に

 漁業を基本にして、舳倉島と海士町という2拠点の住民であることを前提にした全国でも稀に見る共同体なのだ。このため漁師の世帯が多く、加入している約300世帯のうち、150世帯ほどが漁に出ているという。

 ところが、その根幹が今回の地震で大きくぐらついた。

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 まず、漁ができなくなり、舳倉島へも渡れなくなった。

 輪島港の地盤が1~2mも隆起したため、漁船の船底が海底に着いてしまったのだ。船を動かそうにも動かせず、漁には出られなくなった。岸壁や荷さばき場などの港湾施設の被災も激しい。

荷さばき場に向かう道路には大きな亀裂が走る(輪島港) ©葉上太郎

 輪島港が使えなくなったので、舳倉島への定期船も運航できなくなった。

 舳倉島の震度は5弱だったが、津波に襲われた。島に上陸できないので、被害の詳細は分からないが、住めるような状態ではないと言われている。

 漁師は全員が失業状態になった。

「年配の人の中には、港の復興に何年もかかるようなら、廃業するしかないと話している人もいます」と自治会長の橋本さんは表情を曇らせる。

住宅だけでなく、寺社も大きく損壊

 住宅の被害も甚だしい。

 橋本さん宅のように倒壊した家屋があるほか、ほとんどの家が損壊していると見られる。

 再建しようにも、海士町の核心的な土地となっている加賀藩主から拝領した範囲は狭く、各戸の敷地面積が10坪(約33平方m)程度しかない。家が隙間なく密集して建てられており、現在の法律では同じ大きさの家は建築できない。

 そうした狭い土地では駐車場も作れなかったので、自治会員の資格は保持したまま、他地区に家を建てる人が増えていた。

「隆起した輪島港は現在の場所で再開されるのか、それとも移されるのか。漁師は目の前が港だから海士町に住んできました。別の場所を港にするのなら、その土地で家を再建する人が増えるはずです。そうなれば、今のような海士町の形ではなくなるでしょう。そもそも今回の地震で家が大破したような土地に、もう一度家を建てようと考える人がどれだけいるか」と橋本さんは住民の気持ちを代弁する。

 さらに、住民のよりどころだった寺社も大きく損壊した。

 法蔵寺は山門が倒壊。本堂も歪んでおり、応急危険度判定は赤紙だった。

法蔵寺は山門が倒壊(輪島市) ©葉上太郎

 奥津比咩(おきつひめ)神社は後ろの山が崩れ、押し寄せた土砂で被災したようだ。山の崩落がまだ収まっておらず、石段も土砂に埋もれて上がれないので、近づくことさえできない。

 この崩落が海士町の住宅にも被害を及ぼしかねないので、避難指示が出ている。