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「伊集院光さんも同じことを言ってたよ」ラジオイベントに16万人が熱狂…オードリー若林正恭の才能を見出した人物が語る「面白いトーク」の定義とは?

『トークの教室:「面白いトーク」はどのように生まれるのか』より #1

2024/03/02
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ラジオパーソナリティたちが通った苦難

 さすがの若林さんも、回数を重ねると手持ちの話がなくなってくる。するとある時、彼はこう言ったのです。

「実はこの前、なにかトークができないかなと思って高尾山に登ってきたんですが…、なにも起きないもんですね」

 気持ちはよくわかります。いつもと違う場所に行っていつもと違うことをすれば、なにアクシデントが起こり、面白いトークが生まれるかもしれない…というのは、たいていの若手芸人が思うことです。しかし、やってみても、まずなにも起こらない。私は笑って答えました。

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「アハハ、むかし伊集院さんも同じことを言ってたよ」

伊集院光はトークのために表参道に行ったが…

 この時より前、私はまだ若手だった伊集院光さんと番組をやっていたことがあります。(「伊集院光のOh!デカナイト」1991~95年、ニッポン放送)。

 当時表参道だかどこだったか、オシャレなビルができた。あれは当然、カッコよくてお金持ちの若い男女のための商業施設です。伊集院さんは、

「それって俺に一番似合わない場所じゃないですか。そこへノコノコ出かけていけばなにかトークができるかもと思って行ってみたけど…、なにも起きないもんですね」

 と残念がった。

伊集院光 ©文藝春秋

「面白いトーク=すごいエピソード」ではない

 私は若林さんに、

「わざわざエピソードを作りに行っても、とくになにも起こらないもんだよね。みんな1回、そこを通るんだ。それがわかっただけでもいいんじゃないの」

 と言ったのを憶えています。「行ったけどなにも起きなかった、というトークならできるかもしれないけど」と。

 普通の人の日常では、そうそうビックリするような出来事はない。エピソードという言葉を「ドラマチックな出来事」ととらえてしまうと、「自分にはそんなものない」となります。なに、そんなもの、みんなないのです。

 面白いトークを聞くと、そこにすごいエピソードがあったように感じるだけなのだと思います。聞いてる人にそう思わせることができたら、それはうまいトークだということかもしれません。

「伊集院光さんも同じことを言ってたよ」ラジオイベントに16万人が熱狂…オードリー若林正恭の才能を見出した人物が語る「面白いトーク」の定義とは?

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