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労働省でも女性にはお決まりのコースが…

 官僚試験に合格したが、全省庁のうち女性を採用するのは労働省だけ。労働省でも女性にはお決まりのコースがあり、男性が行けるコースより地位が低いと赤松さんは捉えた。

「だから私、なにさと思って、色んな局で働かせてほしいと希望を出したんですよ。でもあまり実行されなかった」

 

 入省から定年までの仕事の一貫したテーマは“女性差別をなくす”。その中には、赤松さん自身も含まれていた。自著でも「職場での男女平等での道を自分自身の生活と重ね合わせて生きた者」と記している(『赤松良子 志は高く』)。

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 とはいえ、常に志高くいられたわけではなかったそうだ。

 赤松さんは、自身の30代を“中だるみの季節”と表現した。曰く「なんか退屈で、仕事自体が楽しいというわけじゃない」時期だった。職場では上司と後輩に挟まれ、子育てとの両立にも悩んだ。仕事がままならない鬱憤を、民間の雑誌に論文を書いて晴らしもした。ペンネームだが本名をもじって「青杉優子」。苦しい時でも洒落を忘れなかった。

人生で一度だけ、仕事を辞めたいと思った瞬間

 そんな季節の中で、人生でたった一度だけ、仕事を辞めたいと思ったことがあったという。課長補佐だった39歳の時で、十二指腸潰瘍になり仕事を1カ月休んだ頃だった。

「その頃もし夫が仕事を辞めて家にいてくれと言っていたら、心動かされたかもしれないね。私は鼻っ柱が強いし、仕事をとても大事に思っていたから、実行はしなかったけど、本当に辞めたかった」

 課長がわからず屋のトンチンカンだったから……と言って赤松さんは笑った。苦悩が晴れたのは自身が本省課長に昇格した40歳以降で、責任が重くなった分、やりがいが増した。

 もし、中だるみの季節に本当に辞めていたら――。赤松さんが均等法の母になることはなかったし、均等法がどうなっていたかもわからない。