志賀町では軽トラックが不足しているため、近隣の市町村の在住者であれば、一般応募のボランティアとは別枠で参加することができる。湯川さんは自前の軽トラックを持ちこんで志賀町に駆けつけた。
「自分の生まれ育った県ですからね。時間が許す限り、力になりたいと思っています」
もう一人、話を聞いたのは大阪市在住の高校2年生、樫井テツトさんだ。友達と高速バスで石川県入りして、今回、初めてのボランティアの参加となった。
「想像していたよりも大変でした。特に重いものを運ぶ作業は体力的にきつかったです」
しかし、得たものも大きかったようだ。
「被災地の様子を自分の目で見て、ボランティアとして参加できたことは、貴重な経験になりました。将来は人の役に立つ仕事がしたいと思っているので、この経験を生かしていきたいと思います」
「自分の目で見たい」と思う一次情報の重要性を理解している高校生がいれば、まだまだ日本の将来も捨てたものではないと思った。
「人手が足りないのは、傍目から見ても分かった」
今回、被災地で最も気になったのは、ボランティアセンターの人手不足だった。デジタル化によって業務の効率化が図られているものの、事務局の人手が足りないのは、傍目から見ても分かった。その点について、志賀町のボランティアセンターのスタッフに話を聞いてみた。
「全国の社会福祉協議会から、応援スタッフが駆けつけてくれているので、少しずつ人手不足は解消に向かっています。全国の企業や大学からもボランティアが駆けつけてくれて、地元の高校生たちも手伝ってくれています。ただ、もともとが小さな町なので、対応できるスタッフの数には限界があります」
今までいろいろな被災地を見てきたが、志賀町のボランティアセンターは高齢のスタッフが多いように思えた。年配の女性がスコップや工具などを運んでいる姿を見て、若い人が少ない地区での災害対応の難しさを改めて考えさせられた。
能登半島地震ボランティアの“ジレンマ”
ニュースなどでボランティア不足がたびたび議論されているが、この点に関しても解消には時間がかかると思った。
従来の災害だとボランティアが自分の車で現地入りするため、被災した住宅まで各自で移動することができた。