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 これが凡人の私が辿り着いた答えです。

 東山魁夷の著書の中で、生きることについて自問自答していました。引用します。

〈人生の旅の中には、いくつかの岐路があり、私自身の意思よりも、もっと大きな他力に動かされている。……このひとすじの道を歩こうという意志的なものが育ってきて……〉

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〈私の現実の場を考えると、この中で生きていくより他に方法がない。どこかへ逃げていくわけにもゆかない。これが私の道なのだ。この私の置かれた場所で私に出来る最善を尽くすだけだ。そして、自分を見失わないことだと思った。〉

 私は、中野さんの著書『ペルソナ』を読んで、著者と読者が頭の中で会えるという箇所を読んだとき、そんなのありえないでしょと思いましたが、今では作者と頭の中で会える感覚が持てるようになりました。趣味で小説を書いているのでよく分かりますが、書くのは地味で大変な作業です。こんなの書いても意味ないよなぁと思いつつ、好きだから書いています。好きなことするのが一番の癒しになるのではないでしょうか。

 

(4)人生は必然の上にあるだけだと考えれば──流氷さん・73歳より

 私は18~20歳までの3年間多くの事を考えました。

 なぜ死ぬことがこわいのか?

 私は何なのか?

 私はどう生きるべきなのか?

 どんな人たちがいるのか?

 等考えそれなりに結論は得ましたが、結果20代前半には早く45歳になることが私の望みでした(45歳くらいになれば少し頭の働きが落ちて楽になれるだろうと考えたからです)。

 多くを見る、知るを目的に生きてきて今73歳になりあの3年間で得た結論がほぼ的を得ていたと確信しました。

 私たちは確率で生まれて来て自分の判断で今に至っているのでしょうか?

 自分という個は連続した遺伝が詰められた箱のような物で連続帯が決めているのではないでしょうか?

 あるいは、何かの連続帯があって出生、人生ともに必然の上にあるだけなのかと?

 脳(思考)からは在る物の分解、行動は証明出来るが、なぜ在るかはできないと思います。その反対(既定の路線を進んでいるだけ)もあるのかなとの思いが73歳の今、外国を歩いていて、なぜ私は今ここに? 走馬灯のように過去が巡り、今を選択したとは思えない不思議な思いがつぶやきに、そして必然の今ならと考えている中で少しの安らぎの最中です。