みなさまのお悩みに、脳科学者の中野信子さんがお答えする連載「あなたのお悩み、脳が解決できるかも?」。今回は、「記憶力」という難題に、中野さんが脳科学の観点から回答します。(全3回の1回目。#2#3を読む)

中野信子さん ©文藝春秋

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Q アラ還からでも脳を鍛えることができますか── 57歳・ビデオカメラマンからの相談

――私は自分が嫌になるほど記憶力がありません。以前このコーナーで、私と同世代の俳優の松重豊さんが「台詞がなかなか覚えられない」という相談をされていましたが、台詞のように長い文章を覚えられないというのはむしろ当たり前のように思えます。私の場合は、たとえば電話を切った途端に、会話の内容どころか相手の名前も今聞いたばかりの電話番号も思い出せません。これからでも脳を鍛えて記憶力を向上させることはできませんか。

 脳では私たちが生きている限り、新しい細胞が生まれ続けます。せっかく生まれた細胞も、しっかり回路に組み込まれなければ活用されずに死んでしまうのです。積極的にものごとを覚えるとか、意思決定をするとか、脳を普段からより使ってあげることが自然と脳を鍛えるということになります。

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 睡眠も記憶にとって重要な要素です。脳の神経細胞の結び目には老廃物が溜まってしまうのですが、私たちの脳は私たちが眠っている間にこの老廃物を洗い流しています。睡眠時にしか洗い流さないので、眠らないでいると溜まったままの老廃物のせいで脳の働きが悪くなり、ものをよく覚えられなくなったり、普段はできていることをミスしたりするのです。ですから適度の睡眠はとても大事です。

 

 とはいえ、果たして「記憶している」ことだけがいいことなのかという疑問は残ります。「忘れる」という機能は私たちが普段思っているよりずっと重要なのではないでしょうか。

 劇作家・演出家でもある俳優の長塚圭史さんは2021年から神奈川芸術劇場の芸術監督を務め、今シーズンは「忘」をテーマに活動しています。大きな事故、災害、そして戦争……人間が覚えておかなくてはならないはずの記憶をなぜ、私たちは忘れてしまい、同じ過ちを繰り返すのだろうか─そんな疑問を持っていたことから、忘却の意味をあらゆる角度から考えたいと語っておいででした。