労働者の方々がエキストラとして参加
──酒場で酔っぱらっていた人たちがヤーノシュの説明のもと、太陽・地球・月といった天体の軌道を模していき、その様子がダンスのようになっていく。そんな素晴らしい長回しから本作は始まります。市井の人々の日常と宇宙をつなげているようです。
タル ヤーノシュがバーで、宇宙の説明をしている。と同時に、皆がその宇宙を演じている。そうした複雑さというものを見せることが、このシーンにおける我々の目的でした。映画全体が“永遠”にかんするものになっているのだと考えれば、ここに存在している人々は、永遠にあのままなのだということができます。
──なるほど…。酒場の人々と同様に、広場を埋め尽くす群衆も圧巻で、物語後半の展開に大きくかかわります。俳優だけでなく市民、特に労働者の方々がエキストラとして参加しているように見えますが、そうした人々とどのように関係を結び、撮影を成立させたのですか。
タル 皆と友人でなければいけない、と思っています。私のほうから何かをしてほしいとお願いするわけですから、自分のパートナーとして接するということを大事にしているのです。(群衆として参加した人数は)700人もいたのですが、失職している人であったり坑夫であったり、つまりは非常にタフな男性たちが多かった。
しかし人数に関係なく、パートナーとして一緒に仕事をするという関係性が必要なのです。もちろんギャラはお支払いしましたが、お金の問題ではないのです。
食べることは人生の一部
抽象的な世界を描くにも、タル・ベーラ作品は、人間の生活の実感をこめることを忘れない。たとえば、食事のシーンは象徴的だ。人々が決して美味そうに食べていないことも含め、生活を続けることのリアリティが息づく。