現代の日本では、結婚した3組に1組が離婚し、60歳の3分の1がパートナーを持たず、男性の生涯未婚率が3割に届こうとしている。なぜ日本社会では、結婚がこんなにも難しくなってしまったのだろうか?

 ここでは、「難婚社会」の実態に迫った社会学者・山田昌弘氏の著書『パラサイト難婚社会』(朝日新書)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージです ©GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

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「結婚」も弱肉強食の戦国時代へ

「個人化」する若者の悩みは、「選び続けることに疲れる」だけではありません。「自分に選ぶ権利がある」ということは、すなわち「相手にも選ぶ権利がある」ということです。恋愛や結婚においても、新自由主義の原理原則が働くようになったのです。

 逆説的ですが、前近代社会での日本では、自分自身も自由を拘束され不自由を感じてきたものの、同時に相手のことを縛ることができました。大恋愛の末というわけでもない結婚でも、よほどの不具合が生じない限りは、自分も離婚できない代わりに、相手からも「離婚してくれ」と言われる心配はありません。「結婚」「家族」の枠組みは、良くも悪くも個人の意思を超えたところで決められ、強固な枠組みとして、個人と個人をつなぎ合わせる機能を担ってきたのです。

 ところが今や、その「つなぎ」の機能は弱まりました。「結婚」も「離婚」も「独身」も、いつでも解消は可能で、いつでも人は「選ぶ」ことができるのです。

イエ同士の結婚で最重要視された「家柄のつりあい」

 ところが先述の通り、自分が「選べる」ということは、相手にも「選ぶ権利がある」。そうなると、「自分は相手を選んだのに、肝心の相手から自分が選ばれない」というようなことが往々にして起きるようになります。

 しかも、かつてのイエ同士の結婚ならば、自分が選ばれなかったのは、自分のせいではないと思うことができました。かつての「結婚」は、そのシステム上、個人のスペックはさほど重視されなかったからです。もちろん若くして頭角を現した男性や、周囲を圧倒するほどの美貌を持った女性ならば、そのスペックで一発逆点の玉の輿……などもあり得たかもしれませんが、基本的に「結婚」で最重要視されたのは、「家柄のつりあい」です。