そのときの自分が身につけられる技術において、どれが最も勝利に直結するかを考えたとき、スタートは基本として、そこからのポジション取りや動くタイミングなど「戦術面のスキル」を上げることが勝利への近道なのではないかという、一つの結論にたどり着いた。
もちろん、並行してフォームの改善にも取り組めればベストだったし、同時にできる人もいるのかもしれないが、残念ながら、自分にはそこまでのキャパシティがないことはわかっていた。
そうなれば、選択肢は二つ。時間がかかってもフォームの改善に取り組むか、フォームは後回しにして戦術面のスキルを磨くか──。
そのときの自分には、コンプレックスを解消するために後者を犠牲にするという選択は、とてもじゃないけどできなかった。
「自分を笑っている先輩たちをいつか見返してやる」
同世代の騎手たちの多くが大きな鏡の前で木馬に乗り、フォームや追い方の改善に余念がない中、各競馬場の各コースに応じた戦法を考え、開催日ごとに馬場のどこを通るのがベストかを見極め、相手関係を見てペースを予測し、最も勝てる可能性が高いポジションを探るなど、とにかくレースメイクにまつわるスキルを磨くことに専念した。
その成果がどの程度あったのかはわからないが、1年目53勝、2年目62勝、3年目52勝(すべてJRAのみ)と、一定ラインの勝ち星はキープすることができた。
そのおかげで、というのも変だが、その後も10年以上、騎乗フォームの大改善に取り組むことなく、コンプレックスを抱えたまま競馬に乗り続けていた。しかし、どんなに数を勝っても、どんなにGⅠを勝っても、同業者であるジョッキーの目はごまかせない。それはずっと感じていた。
勝たなければ、結果を出さなければ、悔しさをバネにしなければ──。今振り返ってみても、デビュー後の数年はとにかく必死だった。
心の中にあったのは、「北橋先生、瀬戸口(勉)先生に迷惑をかけてはいけない」という強い意志と、「自分を笑っている先輩たちをいつか見返してやる、結果を出しまくって黙らせてやる」という強い気持ち。
そんな思いが自分の向上心を支え、発奮材料になっていた。