「これで認知症は予防できる!」などと謳う一般向け書籍
一方、街の書店には「これで認知症は予防できる!」などと謳う一般向け書籍が所狭しと並んでいますが、これも決定的な予防手段が存在しないからこその現象であると言えましょう。
このように言うと「夢も希望もないではないか」と思われてしまうかもしれませんが、完全なる予防法も治療法も決定的なものはないとはいえ、さまざまな因子を除去することで防いだり遅らせたりできることは、わかってきています。
2020年のランセットの総説によれば、40%の認知症は社会的・医学的な介入によって対処することが有用であるとしています。その内訳は以下の図のとおりです。
つまり、効果が限定的かつ超高額な新薬に過大な期待とお金をかけるより、認知症の人やその予備軍となる疾患を持つ人たちを、いかに社会で包みこんでケアしていくかということの方が、よっぽど効果が期待できるし、希望に繋がると思うのです。
私は根拠なき予防法やその場しのぎの嘘で読者の皆さんを騙したくありません。それより私が本書を通じて訴えたいのは、身体的な老化にせよ認知症にせよ、「なってはいけないもの」ととらえるのではなく、その状態になることを前提として受け止めつつ人生を謳歌し、いかに最後まで幸せに生きてゆくかを考えましょうということです。
認知症のイメージをリセットする
私の友人にも、ことあるごとに「認知症になりたくない」「認知症になったらどうしよう」という人がいます。先日も同じことを言っていたので、理由を問うてみたところ、こんな答えが返ってきました。
「物忘れや徘徊(ひとり歩き)、意味不明なことを大声で叫んだり、介護者に暴言をぶつけたり、暴力を振るったりする状態になるでしょう。家族に迷惑をかけてしまうのが心配だから」
この心持ちはよくわかります。多くの人は、自分が症状に苦しむことより、周りに迷惑をかけることを心配します。しかし認知症になったら周りに迷惑をかけると決めつけることは正しくありません。
私は日々、現場で多くの認知症の人に接しています。たしかに認知症の人の中には、幻覚や妄想、ひとり歩きや大声といった症状を呈する人、介護に抵抗する人もいますが、皆がそうとはかぎりません。認知症のベースとなる疾患にもよりますが、他者に危害を加えたり迷惑をかけたりする“病気”という固定観念がもしあるのであれば、それはまずいったん消し去ってしまった方がいいでしょう。
なぜなら「認知症=悪、恥」「認知症になったらおしまい」というイメージに取り憑かれているうちは、そこで思考が止まってしまい、自分自身が最後まで幸せに生きるという目標に向けてのスタート地点に立てないからです。それだけでなく他者にたいしても不寛容な感情を抱き、不幸な道へと迷い込んでしまいます。こうした観点から、以下、当事者を支える側の視点から認知症を考えていきます。