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《特別公開》小説「SMAPと3・11」鈴木おさむが描いた“伝説の生放送” 「くじけずにがんばりましょう」

《特別公開》小説「SMAPと3・11」鈴木おさむが描いた“伝説の生放送” 「くじけずにがんばりましょう」

2024/03/11
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 妻が日本に帰ってきた。

「もうバラエティーは出来ないかもしれない。テレビどころじゃないかもしれない」

 妻に言った。

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 つまりそれは妻の仕事も僕の仕事も成立しないということだ。

 本当にそう思った。

 日本のテレビを見て被害を知った妻が、僕の言葉を否定することはなかった。

 SNSで日本の芸能人・著名人が続々関西の方に逃げているという情報が目に付いた。

 誰がどこにいるという目撃情報が入ってきていた。

 大阪や福岡、沖縄。

 テレビの収録もない。身の安全のため、東京を離れていると。

 やっぱり少なくとも東京にはもう住めないのかもしれない。

 ごまかしていた自分の気持ちにごまかしがきかなくなった。

 テレビ番組の会議もすべてがなくなっていた。放送がないし収録もない。

 自分もこのまま東京にいないほうがいいのかもしれない。

 我慢出来なくなった。

 ネットを開くと、飛行機も新幹線のチケットもだいぶ埋まっていたが、ギリギリ翌日の沖縄行きのチケットが2名分残っていた。

 そのチケットを予約した。

 罪悪感はあった。だけど、感じたことのない不安と恐怖で押し潰されそうになっていたから。

 ずっと自分をごまかしていたからこそ、一気に吹き出した。

 予約を完了したあとに、春田から電話があった。

 電話に出ると春田は言った。

「来週の月曜日にイイジマサンが生放送をやりたいって言ってます。今晩、みんなで会えますか?」

 生放送?

 こんな状況で?

 信じられなかった。

 夜、会議室に集まった。僕と黒林さん、春田に野口、イイジマサン。

 イイジマサンも大分疲れた顔をしていた。そこで言った。

「こんな時だからこそ来週の月曜日、生放送をやりたい」

 SNSでは有名人がさらに東京を離れているという話が流れている。大阪のホテルに泊まっている人の名前などが僕にもイイジマサンの耳にも入ってきていた。

 東京を離れて逃げることは悪いことじゃない。安全を考えどんな行動を取るかは自分次第なのだから。

 だけどイイジマサンは「自分が住んでいるところを離れられない人が沢山いて、みんな不安になっている。だからこそ、来週の月曜日、生放送をしたいんだ」と思いを語った。

 彼ら5人が東京から生放送をすれば、それだけで安心する人が沢山いるはずだと。

 イイジマサンの覚悟は決まっていた。

 自分たちがこの仕事をしている意味。

「私たちに出来ることはそれしかないと思う」

 イイジマサンの思いを受けて、黒林さんが会社に働きかけた。

 テレビではちょっとずつバラエティー番組は放送され始めていたが、常にL字の画面で震災の情報が入り続けている。何日も繰り返し流され続ける津波の映像で心を病んでしまった人もいたからこそ、バラエティーが流れることで安心する人もいる。

 だが、バラエティーが放送されることをけしからんと否定する人も沢山いた。

 そして、ゴールデン・プライム帯で生放送をしているバラエティー番組などなかった。

 実行するには沢山のリスクがあった。

 放送中にまた地震が来るかもしれない。

 原発の新たなニュースが入るかもしれない。

 生放送でメンバーがうかつなことを喋ったら、それで大きな批判を買う可能性が高い。

 局側からしてもリスクも大きいし、諸手(もろて)をあげて「是非やりましょう」とはならなかっただろう。だが、イイジマサンの熱い思いを黒林さんたちが伝えて、生放送を行うことになった。

 未曾有の大震災の10日後。

 2011年3月21日の22時から。

 そんなこと、他に誰もやろうとしない。

 やりたくない。

 だからやらなきゃいけない。

 彼ら5人は。

 

 翌日から連日会議を行うことになった。

 でも、その日、僕は沖縄行きの飛行機のチケットを取っていた。妻の分と2名分。妻には飛行機を予約したことは言ってなかった。

 取れたチケットの出発時刻はその日の夜。イイジマサンたちと会議をする時間だった。

 ネットを開くと、原発の事故による放射能の噂がさらに恐怖を煽(あお)る。

 これは噂じゃないんじゃないかと。

 本当にそうなっていくんじゃないかと。

 だから沖縄に行こうと思った。

 イイジマサンや黒林さん、春田と野口には申し訳ないと思ったけど。

 逃げようと思った。

 東京から。

 会議時間と飛行機の時間が近づいてくる。

 もう決めなければいけない。

 僕は妻に言った。

「実は沖縄行きのチケット、取ってあるんだ」

「そうなの?」

 妻は驚く。

「沖縄に逃げようと思うんだけど、どう思う?」

「いいと思うよ」

 賛成してくれた妻の言葉で楽になれた。でも。

「やるんでしょ? 生放送」

「うん」

「みんな、会議で待ってるよ。行かなかったら寂しいよ」

 僕なんか逃げたってきっと番組は作れると思っている自分がいた。

 でも、行かなかったらきっと寂しい。

 ずっと一緒にやってきたからこそ。

 妻の言葉で、ネットを開いて、飛行機をキャンセルした。

 もうやるしかない。

 今、自分に出来ることは番組を作ること。

 

 会議に行った。みんな不安。みんな怖い。でも、こうやって集まっている。

 みんなで話しあって、生放送の日のテーマを決めた。

「いま僕たちに何ができるだろう」

 イイジマサンは、5人で話し合って、何が出来るのかを考えるところから始めたいと言った。

 それでいい。

 ただ話すだけになるかもしれないけど、それでいいのだと。

 彼らに何が出来るのかを、報道番組のようではなくあくまでもバラエティーとして前向きに話すことで、それを見た人が考える番組にしたいのだと。生放送で。

 

 普通のマネージャーだったら、嫌がるはずだ。

 この状態でタレントが生放送に出て行き間違った発言をしたらタレント生命に大きな傷が付く。

 喋っていいことといけないことの境界線が決まってないからこそ、生放送で自分の言葉で喋ることにはリスクしかない。

 だけどイイジマサンは言う。

「間違っていいんだよ」

 間違ったらそこで謝ればいいし、間違いを恐れてたら何も話せない、何も出来ない。このままだとエンターテインメントが戻らない。

 その覚悟があった。

 会議をしているときにも、大きな余震が来た。

 スタッフが叫び声をあげるほどの余震もあった。

 余震が来る度にみんな「放送中、これ以上の地震が来たらどうしよう」と思うが、そこも含めて放送するしかないのだと決めた。

 彼ら5人のそのまんまを見せる。

 国民的スターと言われる彼らだって地震にあって不安になる。その中で生放送を行い、言葉を選ぶ。何が正解なのかが分からないまま話す。

 だけど、それを見せて伝えることで、きっと世の中は安心する。

 みんな不安なんだ。怖いんだ。

 だからこそ、みんなで一緒に考える。

 今、自分たちに何が出来るのか?

 僕は会議に参加しながら、沖縄行きのチケットを取っていたこと、仕事を放棄しようとしたことへの罪悪感がずっと胸の奥にあった。そのことは言えなかったが、不安なのはきっと僕だけじゃないと思った。黒林さんだって春田だって野口だって家族がいる。子供もいる。みんな、きっと大きな不安を隠しながら、向き合っているはずだ。

 でも。どこかに逃げて安心しているよりも、この状況の中で、こうやってエンターテインメントを作れていることの方がきっと幸せだと言える日を信じた。

 この放送を見てくれた人が、不安と恐怖を少しでも期待と希望に変えることが出来るのかもしれないと思いながら会議を終えて家に帰った。

 そして寝ている妻の顔を見て感謝した。

タクヤが僕に言った。「オサムは何を信じてる?」

 3月21日 生放送当日。

 昼過ぎに、リーダーが、タクヤが、ゴロウチャンが、ツヨシが、シンゴがお台場のテレビ局にやってきた。

 3月11日以降、みんなと会ったのは初めてだった。

 いつものように軽く笑顔で挨拶をすることはない。みんなそれぞれが覚悟を持ってやってきたことが分かった。

 まずは会議室にメンバーとスタッフ全員が集まり、今日の構成を話す。

 全員一言ずつ話してから、一曲歌い、曲が終わったあとは、街頭でインタビューした映像と募集したファックスを読みながら話していくと。

 そして最後に2曲歌う。

 番組は、歌以外のコーナーは彼らのトークに頼る部分が多い構成だった。VTRをもっと延ばすことも出来たが、それよりも彼らが今の思いを話すことが大事だ。彼らのリスクは増えるが、そこを信じないといけなかった。

 構成の説明をしたあとに報道部の人がやってきて、今の被害状況と、そして、言ってはいけないこと、言うべきではないことをレクチャーする。ネットでは噂が絶えない中で、テレビとして中途半端なことを言うことで視聴者がより不安になる。そのレクチャーが果たして本当に正解なのか分からないが、局としてもその生放送をやることに大きなリスクがあるわけだ。だからレクチャーをすることが条件だった。

 僕はそのレクチャーを聴いていて、「これを言われると、生放送で話せなくなるんじゃないか」と思った。

 だけど、そこも踏まえて彼ら5人はやるしかないのだ。

 どんな一流の芸人さんでもタレントさんでも、この生放送を行うことはリスクとの隣り合わせ。だけど、イイジマサンはやると決めた。彼ら5人もまた、やると決めたのだ。

 

 生放送が始まる前に、タクヤが僕に言った。

「オサムは何を信じてる?」

 色々な噂が流れる中、何を信じてどう行動してるのか? と聞きたかったのだろう。僕は答えることが出来なかった。

 タクヤが去ったあとも考える。僕は何を信じてるか? 1つあるとしたら、自分は今、ここにいて、この番組に参加すると決めた自分を信じているということ。

 みんなもそうなんだろう。自分を信じて、ここに集まっている。

 22時が近づいてくる、スタジオの緊張感が高まってきた。

 彼ら5人がスタジオにやってきた。

 リーダーが真ん中に立ち、その両隣にツヨシとゴロウチャン。端にタクヤとシンゴ。

 5人が立ち並ぶ。

 笑顔はなく、顔が強ばる。

 きっとみんなが一番怖い。

 東日本大震災から10日しか経ってない中で。

ここまでが物語の前半です。鈴木おさむ氏による「くじけずにがんばりましょう」の全文は、「文藝春秋」2023年4月号(および「文藝春秋 電子版」)に、23ページにわたり掲載されています。

 

 第1作「小説『20160118』」は、人気男性歌手グループの崩壊と再生、最後に一筋の希望を感じさせる物語。20年以上にわたり、「SMAP×SMAP」の放送作家を担当した鈴木氏ですが、物語は、2016年1月18日の謝罪生放送の舞台裏を想像させます。

 

 第2作「小説『0909 ~そして、みんなで、あの日に、ピース~』」は1996年、デビュー間もない6人組のグループが“アイドル冬の時代”に、その後、伝説の番組となるバラエティー番組を作り始める「はじまりの物語」です。担当放送作家の「僕」の目を通してストーリーは展開します。

 

 鈴木さんは、2023年4月13日に配信された「文藝春秋 電子版」のオンライン生番組「小説SMAPと芸能界とテレビの未来 編集長が聞く! 第2回」で、次回作についてこう言及していました。「事件を乗り越えて、筋力を付けて、巨大化して、さらに国民を魅了していく。SMAPの物語はその繰り返しです。ある意味、青春というか、キラキラしているんです。そういう青春期の彼らの話を書けないかなと」。

 

 いずれもファン必読の傑作、注目の番組です。ぜひあわせてご覧ください。

《特別公開》小説「SMAPと3・11」鈴木おさむが描いた“伝説の生放送” 「くじけずにがんばりましょう」

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