「これが、SMILE-UP.と交わした補償合意書です」
端整な顔立ちの男性は鞄から封書を取り出すと、テーブルに書面を置いた。
「SMILE-UP.との補償合意はあくまで、被害者側が“守秘義務”を守ることを前提に交わされます。なぜ、被害者である私たちが義務を負わせられるのか? 口外すれば法的責任を取らされるのか? 提示された補償金額も、妥当かどうか、個人では判断することも困難です。被害者を不安に陥れるこうしたやり方は、精神的ダメージを受けている被害者にさらなる追い討ちをかけるものではないでしょうか……」
被害補償の実態は「ブラックボックス」
昨年、英・BBC報道を契機に大騒動へと発展した故・ジャニー喜多川氏による性加害事件。 “史上最悪の性加害事件”ともいえる問題であるにもかかわらず、今年に入ってまるで一段落したかのような空気さえ漂わせている。TVをつければ旧ジャニーズ事務所所属タレントのCMが平然と流れ、ワイドショーでもコンサートの様子や東山紀之社長らが能登半島地震の被災地で炊き出しをしたニュースが好意的に報じられている。
旧ジャニーズ事務所(SMILE-UP.)は2月29日、補償受付窓口への申告者964名のうち、249名と合意し補償金を支払ったことを「被害補償特設サイト」上で公表した。フジテレビは「同社による補償が進んでいる」として、4月の番組改編以降、旧ジャニーズタレントを起用すると2月16日の定例会見で表明。日本テレビは同月26日の定例会見で「4月以降の起用も検討段階に入った」とした。
これらは、補償が「適切に」進んでいることが前提でなければならないはずだ。
しかし、肝心の補償プロセスや補償金額の算定基準は明らかにされていない。つまり被害当事者は、同社による救済が適切に行われているかどうかを判断する材料すら与えられていないのだ。こうした現状には、被害当事者側も疑問を投げかけている。1月15日には「ジャニーズ性加害問題当事者の会」が会見を開き、口外禁止条項や、心のケアの専門家の不在、補償金額の算定基準が明らかでないことについて改善を求める要望書をSMILE-UP.に提出したことを明かした。
「ブラックボックス」と化した補償実態の問題点については、1月16日に「文藝春秋 ウェビナー」を開催し、性被害事件の損害賠償に詳しい伊藤和子弁護士と共に整理し論じた通りだ。「当事者の会」の訴えも踏まえ、法的・倫理的な面から特に問題なのは以下の4点だ。
1)補償交渉において守秘義務を被害者側にも課していること
2)補償金額の算定基準が明示されていないこと
3)補償専門会社であるSMILE-UP.がその保有資産(支払い能力)を公開していないこと
4)今後、会見を予定していないこと
筆者が本件について取材と問題提起を続ける中、SMILE-UP.と補償合意に至った一人である元ジャニーズJr.のAさんから「合意書の内容に疑問があり、エイトさんに相談したい」と連絡が入った。何度かSNSのメッセージで相談を受ける中で、直接会って話を聞く機会を得たのが冒頭の場面だ。Aさんの証言で明らかになったのは、我々がウェビナーで指摘した4つの問題点がまさに、被害当事者に精神的不安とダメージを与えているという深刻な実態だった――。
「ホテルに来る? KinKiやSMAPがいるよ」
西日本に在住する40代のAさんは1990年代、12歳から13歳の頃にジャニーズJr.として活動していた。きっかけは母親がジャニーズ事務所へAさんの写真などを送ったことだった(※以下、被害者であることを公表していないAさんのため、個人の特定に繋がる事項は避けて記述する)。
「事務所からあるグループの地方公演へ来るよう連絡があり、バックステージで挨拶したのが、ジャニー喜多川さんとの初対面でした。ジャニーさんは挨拶もそこそこにいきなり僕の頬を両手で挟むと、『ホテルに泊まりに来る? KinKiやSMAPがいるよ』と言いました。戸惑う私を見かねて、同行していた母親が『連れて帰ります』と割って入ってくれたので、その日は難を逃れました」