天翔 私の目の前で「藤岡弘、」を検索して、携帯と私の顔を交互に見比べるとか。「藤岡弘、イケメンだなぁ。この人何歳だろうなぁ」って言いながらジッと見られるみたいな。高校のクラス替えで初めて教室に入ったときは、先に教室に入っていた男子生徒たちがちょうどこの学年に芸能人の子どもがいるって話をしていたみたいで、私の姿を集団で見るなり、「あいつだよね? あいつだよね?」ってヒソヒソ話をしていたり。他の学年から「藤岡弘、の娘いる?」みたいな感じで教室まで見に来られたこともしょっちゅうありました。
――友達からお父さまについて詮索されたときはどうしていましたか?
天翔 「え? 違うよ?」って。「誰から聞いたの? そんなことないよ」って全部否定していました。
「うちのお父さん、不動産屋さんなんだ」と言ったことも
――学生時代は、友達同士で自分の父親がどんな仕事をしているか話す場面もありそうです。
天翔 そういうときは「うちのお父さん、不動産屋さんなんだ」と言ったこともあったと思います。小学校の作文では「うちのお父さんは警察官」と書いたし、またあるときは「お父さんはお医者さん」と言ったこともあって、時々言葉に詰まりそうになることもありましたけど、どうにか切り抜けてきました。
――お父さまの職業を答えるときは、どんな気持ちでしたか?
天翔 周りにウソついてごめんねっていう気持ちと、本当のことを言いたいなって寂しい気持ちもありましたけど、仕方ないな、またか、とか。でも、仕方ないの方が大きかったのかな。それだけ父が注目されているわけですし、生まれてきた宿命というか、父の影響力が大きいということは私が芸能界に入る前から感じていました。
――では、学校行事にお父さまが参加されることも難しそうですね?
天翔 運動会や授業参観など学校行事に来てもらったことも一度もなかったです。よく覚えているのは小学6年生のときにリレーの選手に選ばれたとき。私は足が速かったし、リレーの選手に選ばれることに毎年命を懸けていましたが、当日は自分が頑張ったことを親に見てもらえない寂しさはありましたね。しょうがないんですけど、行事ごとにすごく力を入れていたので、そうしたことを一緒に喜びを分かち合えたらなって思ったことはあります。
でも私だけじゃなくて、下のきょうだいたちもみんなそうだったし、バレる、バレないの悩みもきょうだい同士で共有しながら過ごしていましたね。