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キキの“気分”を描くために欠かせない「ルージュの伝言」

 ユーミンの“都会的”で“大人”な楽曲は、キキのような「恋に恋する年齢の女の子」にとっては、まさに「ステキ」といいたくなるような内容だ。ファッションデザイナーのおねえさんへの憧れを経由することで、「ルージュの伝言」がキキの年頃の“気分”を描くための欠かせないピースであることが見えてくる。

 では、エンディングで流れる「やさしさに包まれたなら」はどんな役割を果たしているのだろうか。この曲はもともと、不二家のソフトエクレアのCMソングとして書かれた楽曲だ。ただし、CMでは最後が「君のもの」という歌詞で歌われていた。

 これが1974年に3枚目のシングルとしてリリースするにあたり、フルサイズの歌詞を書き上げる過程で、最後の部分が「メッセージ」と改められた。これは単に語句の変更にとどまらず、歌詞の視点そのものが大きく変わるものだった(ちなみに映画で使われているのはアルバム『MISSLIM』収録されたバージョンで、シングルとはアレンジが異なる)。

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「やさしさに包まれたなら」が収録されている荒井由実(現:松任谷由実)2枚目のアルバム『MISSLIM』(1974年/ジャケット写真より)

大人になったとき、世界を再発見する

 CMの時は、歌詞の視点は「子供を見守る側」にある。実際、CM映像も幼い子供の姿を撮っている。これに対し完成した楽曲は、「自分が世界を見る」という視線で書かれている。そして歌詞の語り手は、子供のころは当たり前過ぎて気づかなかったことを、大人になって再発見するのである。

 キキはまだ、生きるだけで一生懸命の若者だから、この歌詞のような大人の視点で周囲を見渡すことは難しいだろう。でも本作は、キキの周囲に様々な年長者を配し、キキもまたなんらかの形で大人になっていくことを予感させる構造になっている。

 ウルスラや、おソノさん、あるいは老婦人のようになったとき、キキはこの歌詞のように世界を再発見するのだろう。

© 1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N

(5)キキの「今」と「未来」を書いた荒井由実

 宮崎監督は、ムック(※)のインタビューで、なかなかうまくいかないことの繰り返しが人生なんだという話をした後、「でも、渡る世間に鬼はないと――。『あ、それがテーマですね』と(同作の作画監督である)近藤喜文氏が言ってましたけど(笑)」と語っている。

宮崎駿監督 ©文藝春秋

 確かに「渡る世間に鬼はない」と「やさしさに包まれたなら」の持つ意味合いはすごく近い。つまり「やさしさに包まれたなら」は周囲の登場人物たちを経由することで、キキがやがて気づくであろう世界のあり方を歌った歌として、映画を締めくくっているのだ。それはキキの真っ白な未来に向けた祝福でもある。

 こうして振り返ってみると、キキの「今」の気持ちに寄り添う楽曲と、彼女の「未来」を予感させる楽曲を書いた荒井由実もまた、ウルスラたちと同じ「キキの先輩のひとり」として本作に参加していたのだ、といえそうだ。

※徳間書店『ロマンアルバム 魔女の宅急便』