高瀬隼子さんの新刊『め生える』は、みんなが「はげ」た世界を生きる人々を描く衝撃作です。大前粟生さんは高瀬さんの小説に、“怖さ”と“あたたかさ”の両方を感じると言います。

 私たちを取り巻く人間関係の“怖さ”を絶妙に掬い取って小説にするお二人の創作の秘密に迫る対談をお届けします。(全3回のうちの1回目/司会進行=U-NEXT・寺谷栄人/撮影=松本輝一)

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不条理が当たり前になった世界で

——大前さんは『め生える』をどう読まれましたか?

大前 せっかくだからあらすじからご紹介できたらと。ちょっとSFっぽい設定というか、ある日をきっかけに16歳以上くらいの大人の頭から髪の毛がなくなった、ディストピア的な世界を描いている作品です。髪の毛がなくなったその日以降の日常を、昔から髪が薄いことがコンプレックスだった真智加と、その日パニックになった男性に公衆トイレで髪の毛を切られた琢磨という二人の視点から描いています。みんなはげてしまったあとの日常を描いているんですけど、見た目に変化が訪れても、人は何も変わらないっていうことが描かれていて。いま現実ではげている人がいじられたり自虐したりしているっていうのを、そのまま反転して書いている。髪がない世界で髪がある人はある人なりに苦しんでいるというか、目立つということを何より恐れていて、でもどうしてそういうことを恐れてしまうのかということにあまり疑問を持たないなかで暮らしている。不条理に苦しみながら、でもそれが当たり前というか、仕方ないしなと思って生きている人たちの話です。

 

高瀬 えっ、めっちゃわかりやすい。丁寧にまとめていただきありがとうございます。うれしい……と同時に私こんなにうまく大前さんの本の紹介できるかな、と焦り始めました(笑)。

大前 僕は高瀬さんの小説を「怖い」と思いながら、不条理ものというか、ホラーだと思って読んでまして。人間の社会の理不尽さをそのまま描きながら、登場人物たちがみんな他者とか社会から求められる役割と本来の自分自身との間で板挟みになっている。そして、結局その板挟みになっているところから抜け出したりできないまま終わるので、かなり怖いなと。

 でも、みなさんもそうだと思うんですけど、高瀬さんの小説からは「あたたかさ」みたいなものも感じるんですよね。それは心理描写がすごすぎることでそうなってるのかなと思ってて。ちょうどかゆいところに手が届く、みたいな。人の心理を描くのがすごく上手だなと。不条理のなかに、「そこ気付いてくれたんだ」みたいな部分があるのが高瀬さんの小説の特徴かなと、思っています。