今もっとも注目を集めるZ世代の経営者の一人、株式会社水星代表・ホテルプロデューサーの龍崎翔子さんが初の著書『クリエイティブジャンプ』を上梓した。東大在学中の19歳で起業、“ないない尽くし”の環境から出発しながらも、ホテル業界に新風を呼びこみ、異色の事業展開に成功した裏側には、驚きのビジネススキルがあった!

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金も人員もノウハウもなく……北海道・富良野で起業

――龍崎さんはこれまでトレンドを牽引するホテルやサービスを次々と立ち上げ、注目を集めてきましたが、まだ東大に在学していた時にいち早く起業していますよね。

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龍崎 はい、大学2年生だった2015年に起業し、北海道・富良野でペンション経営を始めたのですが、当時は企業勤めをした経験もなければ、ホテルで働いた経験もほとんどなかったため、右も左もわからない状態。資金や人員もノウハウもない、限られた経営資源をなんとかやりくりしながらのスタートでした。

龍崎翔子さん 撮影・石川啓次(文藝春秋)

 銀行から融資を受けていたものの、とにかく資金が限られていたため、運営に必要な家具や備品は楽天や100円ショップなどでなるべく予算をかけずに揃えました。私が朝7時から夜24時までぶっ通しで顧客対応と予約管理を、(一緒に起業してくれた)母が、パートさんたちの力を借りながら40人分の調理と清掃を担うなど、二人三脚でなんとか運営するような日々。1円を惜しんで節約するあまり、自分たちの過ごす部屋もなかったので、地下室や脱衣所、廊下で寝泊まりしていました。

 当時の夢は「ホテル王」になること。事業の拡大を念頭に起業をしたのですが、たった13室のペンション経営に手こずっている現実に、正直、これは正攻法で戦っても絶対に勝てないなと痛感しました。

――そもそもなぜホテルだったのでしょうか?

8歳の時のアメリカ横断旅行での原体験

龍崎 原体験は、私が8歳の頃、両親の仕事の都合で半年ほどアメリカに住んでいた時のことでした。日本に戻る前の最後の1か月間を、家族でアメリカ横断ドライブすることになったのですが、西海岸へ向かう車の旅は、いざ体験してみるとすごく大変で、広大な土地が続く光景を尻目に、ひたすら後部座席に座っているだけの単調な日々。一日の終わりに泊まるホテルだけを楽しみに過ごしていたのに、毎晩ホテルに着いて客室のドアを開けた時の景色は、昨日も今日もなんら変わり映えのしない「無味無臭な」空間が広がっていて、生意気にも「ホテルってほんまにおもんないな」と感じました。

アメリカの中西部 ©AFLO

 土地によってそこにある景色も、空気感も気候も風土も全く異なるのに、なぜホテルはどこも代わり映えしないのだろう? そんな違和感を感じて、自分だったらこういうホテルをつくるのにとあれこれ妄想するようになったのが、一番最初のきっかけです。

 その後、ホテル経営が具体的な人生の目標になるのは小学5年生になってからですが、「ホテルがかっこいいから自分もやってみたい」ではなく、「自分が泊まりたいと思えるホテルが世の中にない、でも絶対にあるべきだ」という課題感を抱いたことで、この“渇き”を解決できるのは自分しかいないという使命感に駆り立てられたのです。