ミラノで伊マフィアと会議
DSTを後にした私はもう一カ所、行くところがあった。「国家憲兵隊」(当時は国防省が所管、現在は内務省・軍事省が共管する軍警察組織、GN:Gendarmerie Nationale)である。フランスには警察が2つある。1つは内務省所管の国家警察、もう1つが国家憲兵隊だ。
これはフランスのモンテスキュー以来の伝統、「分割して統治せよ」(Divide et impera)「権力分立」(séparation des pouvoirs)を、警察という権力機構に当てはめたものなのだろう。基本的には、都市部は国家警察、地方は国家憲兵隊と大まかな管轄区分は存在する。
しかし、実態はもっと複雑だ。例えば、本件の舞台となるシャルル・ド・ゴール空港は、その外周は国家警察の管轄だが、滑走路などの空港施設は国家憲兵隊が所管しており、今回のオペレーションでは国家憲兵隊の協力を得ることが不可欠だった。
1992年8月18日、パリ市の高級住宅街16区に所在するGNのパリ連絡事務所で、ロ元にカイゼル髭を蓄えたジャン=フランソワ・ラバンド大佐(仮名)と相対した。日本のポリス・アタッシェがわざわざ、直接のカウンターパートではないGNを訪問したことに気を良くしたのか、先方は非常に友好的だった。
「ムッシュ・キタムラ。ご存じかもしれないが、本件は単に宅見勝という日本のマフィアの大幹部の動向に関する問題ではないのです」
髭をひと撫でして切り出したラバンドは、宅見勝と同時に、山口組5代目組長の渡辺芳則にも渡仏計画があることを明かした。私が「承知している」という意味で頷くと、ラバンドは淡々と続けた。
「実は、渡辺芳則と宅見勝はフランスへ入国した後、ミラノへ転じ、イタリアのマフィアと会議を持つ予定になっているのです」
知らなかった。GNの情報を加えると本件は全く違う構図になる。日伊のマフィアが、イタリアでサミットを計画していた。山口組は、フランスをサミットへの中継地として利用しようとしていたのだ。
宅見勝は出国の理由として海外での入院治療を挙げていたが、イタリアでマフィア・サミットが計画されていたとなるとそれは虚偽の疑いすらあった。
イタリア・マフィアとの接近を図った理由
山口組は、なぜ、イタリア・マフィアとの接近を図ったのか。
それは、山口組をはじめとする暴力団が当時、取締りや法整備の強化で、国内では喰い詰める恐れがあることを感じ、国際化を指向していたからだ。当時の暴力団をめぐる環境を整理すると、国際化の背景が見えてくる。