オペレーションの窓口となっていたDSTにフランス当局の基本的対処方針を尋ねると、「強制退去にする」(expulsion、国外追放)という。そこで、こちらが「どのように執行するのか」と尋ねようとすると、先方はそれを遮るように、「フランス警察は、組織犯罪者にフランスの国土を踏ませることはない」と言い切った。
フランス当局が想定していた宅見勝強制送還オペレーションは、日本の「普通」の手続とはかなり異なるものだった。
日本では、海空港からの不法入国者の強制送還は、一旦、施設に収容する段階を経るが、フランスではそのような迂遠な方法は取らない。
中空の巨大な円盤のような形状の第1ターミナルに駐機したJAL405便は、さながら戒厳下のシャルル・ド・ゴール空港で、照明で浮かび上がった尾翼の赤い鶴のマークが夜陰に鮮やかだった。
「無言の職務執行」で強制送還
フランス当局の指示で、まず一般乗客を速やかに降機させた。その後、国家警察の係官数名が同機に乗り込み、宅見勝とボディーガードが座る席を注意深く取り囲み、人定を確認する。ほぼ同時に完全武装の特殊部隊員も乗り込み、宅見勝ら2人の一挙手一投足を注視する。
宅見勝とボディーガードが苛立っているところに、「フランス共和国への入国を禁ずる」旨の通告。ボディーガードが「このやろう!」と怒りを爆発させながら体を動かすと、一瞬にして、係官等によりその場に組み伏せられたという。
結局、2人は監視付きでしばらくJAL機内で待機するほかなく、同じ機体が日本行きの便として整備されると、そのまま帰国した。
フランス当局は、その言葉に違うことなく、宅見勝にフランスの国土を1ミリたりとも踏ませることなく、日本の航空機の中に閉じ込め、我が国に送還した。
饒舌な我が国の警察とは異なり、峻烈で、厳格なフランス式の「無言の職務執行」の現場が目に浮かんだ。
ラバンド大佐の情報力
それにしても、日本最大暴力団のナンバー2はなぜ、容易に出国が認められたのだろうか。前述のように、宅見勝は逮捕された後、肝臓疾患などの持病が悪化し「拘置に耐えられない」と申し立て、大阪地裁から拘置の執行停止を認められた。治療を理由とする執行停止であるから、その間の居住地は、特定の病院となる。
しかし、病院理事長が、“当院の検査では、病因等について最終的な判断ができない。フランスの一流病院の入院承諾を得ている”といった趣旨の上申書を提出。大阪地裁は、これを受け、制限住居の変更を承認してしまう。
だが、警察庁がICPO(国際刑事警察機構)を通じて事実関係を照会したところ、入院治療先であるはずのパリの病院では手続もされていなかったという。
この事実を知ったとき、何もかもお見通しであるかのように髭を撫でるGNのラバンド大佐の顔が、脳裏を過った。