「私の場合はそれで嫌になるようなことはありませんでした」
矢埜 ちょうど10年前、本当にギリギリお色気番組が許されていた時代でしたよね。
ただ、私の場合はそれで嫌になるようなことはありませんでした。前年度の番組が過激になりすぎて怒られちゃったようで、2014年はそこまで露骨なことが求められなくなっていましたし、私はまだ10代で、出方としても“妹キャラ”っぽい感じだったので、そこまで過激な振る舞いを求められなかったからかもしれません。
――結果的にグランプリに選出されるわけですが、その発表はどのようなタイミングで知らされるのでしょうか。
矢埜 番組のサバイバルで、最終的に残るのが10人ちょっと。そこから記者会見に場を移して、最終順位とともにグランプリメンバー6人が発表されるかたちですね。
――では、記者会見の場に呼ばれはしたけど、メンバーに選ばれない可能性もあったんですね……。
矢埜 そうですね。私はありがたいことに毎週番組内で発表される中間順位が1位から3位、悪くても5位くらいではあったんです。でも、自分に自信がなかったので「なんで私がこの順位なんだろう」ともずっと思っていて、選ばれなかったらどうしようと不安は尽きませんでした。
――名前を呼ばれた瞬間は。
矢埜 もちろん嬉しかったですよ!
記者会見にはファンの方も参加していて、なかには名前の入った横断幕を持ってきてくれて、私が選ばれた瞬間に涙を流しながら喜んでくれる人もいるんです。グランプリ受賞は、私だけでなくファンの方も一緒に戦って勝ち取ったものだったと思いますし、応援の声にちゃんと応えられたのが、本当に嬉しかったですね」
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憧れの芸能界に入り、歴史あるコンテストでグランプリを受賞。王道を歩み始めたかに見える矢埜愛茉だったが、そこからは思うような芸能活動を送っていけなかったという。いったいどのような現実が彼女の前に立ちふさがったのか……。