コンプレックスだったお尻も「長所と短所は紙一重」
ーーそうした体のコンプレックスが武器になるのはグラビアの面白いところですね。グラビアを始めた頃からお尻をアピールしていたのですか。
秋山 最初は売りはくびれと言われていて、普通のグラビアを撮っていました。最初はグラビアの仕事もなかったんですよ。でも仮面ライダーをやっていたので徐々に仕事をもらえるようになっていって。
お尻については「スコラ」の編集者さんにコンプレックスがお尻だと伝えたら、そこがチャームポイントだと言われて、そこからは正面でなくお尻をメインとした振り向きの写真が増えていきました。
ーー秋山さん自身はお尻が売りになることにはどう思っていましたか。
秋山 嫌でした(笑)。ずっと「私のお尻の何がいいの?」という感じで。でも褒められていくうちに長所と短所は紙一重だなって思うようになりました。
ーーそして秋山さんがブレイクするきっかけとなったのが2005年に出版された写真集「楽園」でした。当時のグラビアは胸が大きい人ばかりでしたし、お尻を売りにした「楽園」のヒットはグラビア業界のエポックな出来事でした。
秋山 徐々にお尻のグラビアが増える中、お尻をメインにした写真集を作ろうとなってできたのが「楽園」でした。あの写真集のグラビアが発売から何年経ってもいろんな雑誌に出ていて、あの写真集をきっかけにグラビアのイメージになりました。
ーー当時はまだオシリーナというキャッチフレーズではありませんでしたね。
秋山 他にも「ピーチヒップ」「桃尻娘」とか雑誌ごとにいろいろつけていただいていて、その中にオシリーナもありました。
当時って「グラビアといえば胸でしょ」という感じで、そこに私がお尻という異物を押し込んだ感じだったんです。その中で「グラビアって出るたびにキャッチフレーズがつくなら、これを統一したらもっと私のことが浸透するんじゃない?」って思って、名前もお尻も入っているオシリーナというキャッチフレーズに統一してほしいって、私から事務所に言いました。「楽園」が出た後くらいだったと思います。
ーーオシリーナでPRしていこうというご自身の戦略があったとは知りませんでした。
秋山 事務所もグラビアをほとんどやってなかった頃ですし、二人三脚というか、自分でセルフプロデュースしていかなきゃいけなかったので。オシリーナってやっぱり耳に残るじゃないですか。今みたいにSNSもなかったですし、自分を売り出していくためには、記号化しなきゃいけないと思っていました。