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佐藤 知り合ったのは、学校が同じだったからです。山崎が白組に入った経緯としては、私が白組にバイトに行っていたときに、人が足りないと言われ、同じ学校の人や先輩に声をかけた中に山崎貴もいた、という流れです。

 同い年の山崎はそのまま白組に就職しましたが、私は白組には就職しませんでした。それなのに、27歳のときに私が先に監督になっちゃったので、そのときはふたりの関係性が微妙な感じになりました。「うわ~、これはつらい……」と思っていましたね。

©細田忠/文藝春秋

 私が撮った『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS』(95年)という作品は、多分日本では初めてのデジタル映画です。

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 VFXの担当をしてもらった山崎と、アカデミー賞授賞式で山崎と壇上に上がった渋谷ちゃん(渋谷紀世子さん)との3人でMacintosh(マッキントッシュ)で作ったのですごい時間がかかったんです。3人で寝ずに作ってるのに、私がどんどんNGを出すので、山崎は怒っちゃって……。「こんなに辛くて苦労するなら、俺は監督になる!」と言って、今、監督になりました(笑)。

「もっとチヤホヤされろ」と思っていた

──そんな過去があったのですね。

佐藤 35歳くらいで山崎も監督になり、さらに人気が出はじめたあたりから、かなりふたりの微妙な感じが薄くなって、楽になってきました。だから、「もっとチヤホヤされろ」と私は思っていました。

 さらに今回オスカーという世界最高峰の栄誉を手にしたことで、私は金輪際、彼との比較の対象にならなくなった。これでますます楽になりました(笑)。

 だから、山崎がどんどん偉くなってくれて、なんかよかったなって本当にほっとしています。これが逆だったら恐ろしいですけど(笑)。