ベテラン女優が強く制したが…
同じく壇上にいたサリー・フィールドは、ジェニファー・ローレンスのドレスを背後から引っ張ってそのアクション懸命に止めようとしたが、ジェニファー・ローレンスは気付かなかった(もしくは気付かないふりをした)。過去2回の主演女優賞を誇るサリー・フィールドほどの熟練の女優が、誰の目にも明らかな方法で強く制さなければならない異質な状況だったと言えるだろう。
そして、トロフィーを受け取ったエマ・ストーンはジェニファー・ローレンス、サリー・フィールドとハグをしたが、ミシェル・ヨーとはハグすることなくスピーチを始めたのだった。
「透明人間」として扱われてきた
エマ・ストーンとロバート・ダウニー・Jr.、加えてジェニファー・ローレンスのアクションが「アジア系への差別」として物議をかもし、欧米在住の日本人も自身が受けたアジア系差別についてSNSに書き綴った。その多くが「透明人間」として扱われるというものだった。
例えば「スーパーのレジに並んでいると、レジ係が自分の前の客とは談笑していたのに、自分には無愛想だった」。「マンションのドアマンが、夫や子供の名前は呼ぶのに私の名前は呼んだことがない」。「友人と一緒に歩いている時、道を尋ねる通行人が友人にのみ話し掛ける」。
理解されないマイノリティの心情
在外邦人の多くが似通った体験を重ねている。黒人に対するNワードのような、あからさまな侮蔑語を投げ付けられたり、暴力を振るわれたりするわけではない。しかし、自分があたかもそこに存在しないかのように扱われ、それを「差別?」と悶々とし、「いや、たまたまよね」と無理やりに自分を納得させる。これを何度も、何年も続けると、内面が徐々に徐々に蝕まれていくのだ。
さらにスーパーなど一過性の場であればまだしも、逃げ場のない職場や学校では相手と付き合い続け、かつその条件下で自分の業績や成績を上げねばならず、精神の消耗度ははるかに大きくなる。
また、自身の体験であれ、今回のアカデミー賞の件であれ、「(居住国でのマジョリティである)夫に言うと、『ちょっと無礼だけど差別というほどでもない』と返された」という声もある。最も近しい存在であり、日々の出来事や考えをシェアする相手であっても、マイノリティの心情は理解されないのである。