ストーリーマンガを選んだ理由
「日本では社会事情を題材にした作品はエッセイマンガの形式だと世に出しやすいと、そのあたりの事情をあまりよくわかっていなかったんです。でも、私はもともとストーリーマンガを描きたかったので、たとえそれを知っていたとしても、エッセイマンガの形式で描くという選択肢はなかったと思います。
私は中国の政策の是非を問いたいのではなく、その政策の下で生きる人々の物語を描きたいんですよね。やはりストーリーマンガのほうが、人間の感情の描写をしやすいんじゃないでしょうか」
キスシーンは口元にモザイクが…中国でのBL規制
『日本の月はまるく見える』の作中では、「いつからかBL漫画が不良文化だと言われていて 表向きは禁止されている」などと、中国国内でBLマンガが規制対象であることが描かれている。実際に、史セツキさんはどのような規制を目の当たりにしたのだろうか。
「たとえば男性同士のキスシーンは、口元にモザイクがかけられているのを見たことがあります。規制としてどこまで明文化されているか私にはわかりませんが、そういうことになっていると受け止めています。特に出版社を通して流通するBL作品は表現の規制を受けるでしょう。私が小さい頃には『漫友』などのマンガ雑誌を読んでいましたが、いま中国では多くの作品が微博(ウェイボー)などのSNSにアップされています。出版社を通さずに個人で作品を発表した場合はそのままになっていることもあるんですけど、時々それを告発する人もいますからね」
また、通信制限の問題もある。中国では特定のサイトにアクセスできないなど、ネットの閲覧が厳しく制限されている。たとえばLINEやGoogleは見ることができない。『日本の月はまるく見える』の作中でも、主人公・夢言がVPN(仮想専用線)経由で日本のpixiv(ピクシブ)を利用していたが、接続状況が不安定で、編集者からメッセージが送られていることに1年も気づけなかったエピソードが描かれている。
だが、中国での規制は、以前からこれほど厳しかったわけではないと史セツキさんは言う。
「だいたい2017年頃までは、男性同士の恋愛も、比較的自由に描けていたと思います。そのときからの揺り戻しで、いまは厳しくなっているんじゃないでしょうか。私自身は、BLがものすごく好きというわけではないんですよ。でも、もともと描けていたものが急に描けなくなるというのは不安ですよね。ちょうどコロナ禍の事情によく似ています。いままで自由に外を出歩けていたのに、急に家から出られなくなるようなものですから。それは多くの人が経験したことではないでしょうか。中国で生活し、中国でクリエイティブな仕事をするのは、いまは安心感がないです。やはり自由に好きなものを描くには、日本で活動するのがいいと思います」