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日本の作家と同じステップで「マンガ家」に

 次第に二次創作ではなくオリジナルの作品を描きたくなるようになった。そして講談社のマンガ投稿サイト「DAYS NEO」に作品を投稿し、「モーニング」の編集者の目に留まる。

 日本のマンガ作品に影響され、二次創作、同人活動、投稿と、日本の作家と同じステップでマンガ家への道を歩んだ。

 事実、史セツキさんのマンガには翻訳作品のような違和感はなく、日本の読者にはなじみやすい絵柄と作風だろう。担当編集氏は「実際にお会いするまで中国出身とは知らなかった」と話す。担当がつく前の段階でも、マンガとしてセリフなどの違和感がなかったわけだ。

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 そしていま、夢にも思っていなかった「マンガ家」になれた。

連載デビュー作のタイトルに込めた思い

 連載デビュー作となった『日本の月はまるく見える』というタイトルには、どのような思いが込められているのだろうか。

「このタイトルの言葉は、『隣の芝生は青い』と同じような意味合いです。でも、最初のタイトル案は『RUN AWAY』だったんですよ。というのも、この当時、中国では『潤』という言葉が流行していました」

『日本の月はまるく見える』より

「潤(rùn)」は英語の「run」にかけて「逃げる」ことを意味し、コロナ禍の中国では「潤学」という、海外移住を指す言葉が流行した。だがそれは「海外脱出」に近いニュアンスで語られるケースが多かったようだ。

「中国から出ることは、そこに新しい道を見つけることなのか。それとも単なる逃避なのか。いろいろ含めて『RUN AWAY』というタイトルを考えたんですけど、ちょっとネガティブな印象が強いのでやめました。『日本の月はまるく見える』のほうが柔らかくて優しい感じがしますし、マンガの内容に合っているように思いました。

 私も『日本の月はまるく見える』とか『隣の芝生は青い』という気持ちになることが多いんです。そのたびに、あまりよくないことだなと反省するんですけど、ただ『日本の月はまるく見える』と感じるこの気持ちは、ポジティブなことなのか、あるいはネガティブなことなのか。そのことについて私も考えているし、読んでくださった方にも感じてもらいたくて、このタイトルにしました」

 日本と中国の文化の違いを知る史セツキさんに、日本の月はいつもまるく見えているのだろうか。