なぜ「がんの公表」に時間がかかったのか?
がん公表に時間がかかったのは子どもたちの学校が休みに入るのを待っていたからだとケンジントン宮殿は説明する。
「治療が終わるまで私たち家族には時間、空間、プライバシーが必要なことをご理解いただければ幸いだ。今は完全に回復することに集中しなければならない。この病気に直面している皆さん、どうか信念や希望を失わないで。あなたは独りぼっちではない」と皇太子妃は話した。
英国内ではメディアを筆頭にキャサリン妃の勇気を称え、支援する声で一色になった。
がんと闘う人は英イングランドだけで300万人。筆者の妻も2011年、英国で乳がんの両乳房全切除術と同時再建術、6回の化学療法を受けた。英国の化学療法は小柄な日本人には負担が大きい。点滴のたび、しおれたようになる妻のために作ったお味噌汁に涙が落ちたのを思い出す。
今では完全に回復した妻と一緒に生きた証に戦火のウクライナを2回計3カ月にわたって訪れ、日本から中古車いす1095台を届ける橋渡しができた。それでも妻が元気のない日は不安になる。筆者の妻の化学療法は点滴だったが、英BBC放送の王室担当記者は皇太子妃の治療法について、「毎日の飲み薬」と説明した。
がんはファミリーマターだ。しかし「腹部手術」が「大手術」に変更され、ビデオメッセージでの皇太子妃は、母の日に公開された家族写真とは様子がかなり違っていた。王族の一挙手一投足は歴史の記録である。情報の空白も、加工も許されない。
ウィリアム皇太子の徹底した“秘密主義”
そもそも予防的治療段階のがんは隠すことなのか。皇太子妃が3人の子どもへがんについて伝える際、母親としての葛藤を抱えていたことは確かだろう。しかし筆者が推移を見る限り、ウィリアム皇太子(41)の名付け親の追悼式ドタキャン、家族写真の加工疑惑、治療を受けるロンドン・クリニックのスタッフによる皇太子妃のカルテへの不正アクセスなどで事態が“収拾不能”になって初めて、がんを告白した感が否めない。
チャールズ国王(75)は前立腺肥大の治療を受けた後、がん診断されたことを速やかに公表した。皇太子の徹底した秘密主義と情報管理はヘンリー公爵(王位継承順位5位)とメーガン夫人の王室離脱のきっかけをつくり、今回も皇太子妃の健康状態を巡る憶測を増幅させたとも言える。
ウィリアム皇太子(当時は王子)は05年、英大衆日曜紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(廃刊)が担当医しか知らない自身の膝治療を報じた際、携帯電話のボイスメールが盗聴されていると疑い、同紙の組織的な大規模盗聴事件を暴く端緒をつくったほど情報管理が徹底している。
BBCが1995年に放送した最愛の母・ダイアナ元皇太子妃のインタビューを巡り取材手法に問題があったと報告された21年、ウィリアム皇太子(同)は王室の慣例を破って動画で声明を発表し、BBCを厳しく批判した。表面では笑顔の皇太子だが、マスメディア不信は根深い。