しかし、山口組と芸能界との蜜月ぶりに警察当局は次第に不快感をつのらせました。当局の先導で、かとう哲也の芸名で活動していた美空ひばりの実弟が、横浜の山口組系列組織の役職についていたことが問題視されます。実弟(と背後の組織)を庇った美空ひばりは、公演の中心となる公共施設から閉め出され、その年のNHK紅白歌合戦にも選ばれませんでした。ひばりにとって山口組は実弟と同様、「血は水より濃い」関係だったのでしょう。
加茂田組長が主催するパーティーに多くの芸能人が参加
ちなみに、1981年に田岡が死去した際に、一般人向けの葬儀に参列したなかには、ひばりをはじめ、勝新太郎、鶴田浩二、菅原文太らの姿がありました。芸能人とのこうした人脈は、田岡の死後も多かれ少なかれ、その部下たちに受け継がれていきます。
東映任侠映画の主役に抜擢された高倉健に侠客の所作を教えたのは、山口組随一の知名度を誇ったボンノこと菅谷政雄でした。
また、菅谷組に次ぐ勢力を誇った加茂田組の加茂田重政組長が地元・神戸市長田で開く地蔵盆には、山城新伍ほか多くの芸能人が駆けつけました(当時の写真を見ると、加茂田組長が主催するパーティーに参加した芸能人には、菅原文太、杉良太郎、松平健、細川たかしなどの顔が見られ、加茂田家の祝宴で司会を務めたのが、若き日の明石家さんまだったりします。時世の違いが窺われます)。
面倒見の実費は大半が持ち出し
ヤクザも堅気の旦那衆(スポンサー)に愛されてナンボ、という点では同じ浮草稼業の芸能人には親近感があり、表社会でネームバリューのある芸能人への有形無形の支援は親分としてのハク(社会的信用)をつける小道具になりました。組織の功労者が服役する刑務所に著名な芸能人を慰問に行かせれば、それが親分への評価にもなりました。
ただ当然ながら、ヤクザが身にまとう高級ブランドのアクセサリーと同じで、面倒見の実費は大半が持ち出しとなります。さる著名人のスキャンダル揉み消しに奔走した山口組の幹部は、「ユスろうとしたチンピラの顔を立てて相当額を渡したんだが、かかった経費は全部こちら持ちだよ。紹介者の顔を立ててね」と語ったものです。それが「顔役」としての信頼感にかかる必要経費というわけです。