「山口組広しといえど、天野ほど殺されかけた男もいるまい——。」
1963年から1975年まで3代目山口組の最高幹部にあたる若頭補佐を務め、「伝説のヤクザ」としてその名を轟かせた、“ボンノ”のこと菅谷政雄氏。その菅谷氏の護衛を務め、“爆弾”として恐れられたのが、6代目山口組の直参だった天野組の天野洋志穂組長だ。
ここでは、ノンフィクション作家の山平重樹氏が、天野洋志穂組長の半生を綴ったノンフィクションノベル『爆弾と呼ばれた極道 ボンノ外伝 破天荒一代・天野洋志穂』(徳間書店)から一部を抜粋。天野氏が菅谷政雄氏と初めて出会ったときのエピソードを紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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伝説のヤクザ、“ボンノ”こと菅谷政雄との出会い
天野が初めてボンノこと菅谷政雄と出会ったのは、昭和46年秋、大阪・今里の賭場であった。
“サージ”と呼ばれたボンノの若衆、生島久次が開帳する常盆で、天野は連日通いつめていた。
“大会(おおがい)”といわれる大きな博奕場(ばくちば)とあって、客の顔ぶれも錚々たるメンバーが揃っていた。ボンノの他にも、3代目山口組の山本健一、桜井隆之、竹中正久、酒梅組4代目の中納幸男、同組若頭谷口政雄らを始め、関西の名だたる親分衆の顔が見られた。
そんな賭場のド真ん中に臆せず座って、どでかい博奕を打っていたのが、天野だった。
一匹狼の不良で30そこそこの若造なのに、あまりに堂々とした態度、張りっぷりの良さが、いやでもまわりの目を引いた。
「ありゃ誰や? 知っとるか」
隅のほうに座っていた山健こと山本健一が、後ろの若い衆にソッと訊ねた。
「はい、天野いうトッパ、一本独鈷(いっぽんどっこ)の愚連隊(デンコ)ですわ」
応えたのは、たまたま昔から天野を知っている山健組若衆だった。