うがった見方をすれば、その後ときの政権に急接近し、会長みずからが「僕らは(政権の)手先ではない」(『朝日新聞』2019年7月14日付朝刊)と弁明するほど“政商”化していった吉本興業に必要な「禊(みそぎ)」だったのかもしれません。
「一体、どこに排除しろというんですか?」
暴排条例に芸能界でほぼ唯一、公然と反論したのは、大物歌手の松山千春でした。自らのコンサート中のトークで「日本国憲法の中には『一部の国民とは付き合うな』とか『飲食を共にするな』という文字は一行も入っていません。まして、国家権力が、一部の国民を取り上げいじめてもいい、などという言葉も入っていません」「よく考えてみてください。北海道から沖縄まで、すべての都道府県の条例で『排除しろ排除しろ』って。では、そういった人たちを一体、どこに排除しろというんですか?」と、いたってまっとうな異論を呈したのです(『夕刊フジ』2011年10月4日配信)。
ヤクザの会合に出席したことを咎められ地上波から排除されて以降も、持論に変わりはなかったようです。
美人局による恐喝は半グレ集団に代わられつつある
紳助騒動以降も、大手芸能プロと組織の持ちつ持たれつの関係は水面下では維持されていると当局も認めていて、タレントのトラブル処理に暴力団や周辺者が対応にあたる例は皆無ではないようです。有名タレントを刑務所へ慰問させる際には組織の力量が問われたりもします。
ただ、以前なら末端のチンピラヤクザがシノギにしていたタレントへの“美人局(つつもたせ)”による恐喝などの腐れ縁は、暴対法の規制を受けない元関東連合のような半グレ集団にとって代わられつつあるとのことです。
ちなみに、司6代目が渡世の振り出しに主な稼業としたのは、ナイトクラブへの芸能人の仕出しだったとされます(当時の実業としてはポピュラーなもので、正式名称は「司プロダクション」)。当局主導で進んだ、芸能人も含む一般人(社会)とヤクザとの関係遮断について、司氏は前出の『産経新聞』インタビューで「異様な時代が来た」と批判しています。