(「小泉純一郎は東大卒エリート20人の質問攻めにどう答えたか」から続く)
初の回想録『決断のとき』(集英社新書)を今年2月に出版した小泉純一郎は、現職時代から「回顧録は出さない」と言い続けてきた。実際、2009年に政界を引退してから10年近く、その類の取材依頼はすべて断ってきたのだ。
筆者が2015年に月刊誌「文藝春秋」で、引退後初のロングインタビューを担当して以降、小泉は「原発問題のみ」という条件付きではあるが、マスメディアの個別取材を応じるようになった。だが、いまだに評価の分かれる数々の政治決断について語ることは、頑なに拒んできた。
小泉は若い人との対話を好む
そんな分厚い壁をぶち破り、「最高権力者」と呼ばれた男の人生遍歴をまとめ、世に問うたのが『決断のとき』だ。
なぜ、平成を代表する総理経験者が、筆者のような無名のフリーライターを相手に半生をとことん語り、一冊の本に仕上げようとしたのだろうか──。『決断のとき』を出版してから読者によく聞かれる質問だが、筆者は約1年間、田舎の両親よりも頻繁に対面してきたのに、そんな肝心なことをうっかり聞きそびれてしまった。
「総理のご意向」を忖度するに、ただ単に、筆者の取材攻勢が最もしつこかったからだろう。名も力もあるエリート記者たちがジャーナリズムの基本であるはずの「本人取材」を諦めていく中、気づけば、筆者一人だけが追い続けていた。
それだけのことだ。
筆者に限らず、現在76歳の小泉は若い人との対話を好む。特に息子の孝太郎(39)・進次郎(36)と同世代を相手にすると、普段は無口の元首相が驚くほど饒舌になる傾向がある。
かつて東大法学部にあった名門ゼミ・蒲島郁夫ゼミの第7期生も、小泉のストライクゾーンだった。今回も「#1」に引き続き、東大卒エリート20人に行った3時間近くに及ぶ「特別講義」の中で、小泉が語った秘話の数々を惜しみなく披露したい。
(一部敬称略)