1ページ目から読む
3/4ページ目

 竹中さんは学者だから、必ずしも役人の言うことを聞き入れるわけじゃない。今の経済の問題で何が大事かということをとことん議論しようとする。役人と十分に事前調整ができていないことでも、経済財政諮問会議に持ってきて、財務大臣、総務大臣、経産大臣、日銀総裁、経団連代表らとの議論で決めていく。さらに、それを全部議事録に起こして、オープンにした。誰がどういう発言をしたかが誰でも見られるようにしたんだ。

 竹中さんのやり方に対して、反対する人は役人の中にも政治家の中にもいたよ。ただし、あくまでもオープンに議論する中で決めるようにした。議論が収拾つかない時は、私が発言するんだよね。私はどっちかというと黙っていることが多かったけど。それで決まったことは、その日のぶら下がりでオープンにした。

5年5ヶ月続いた小泉政権では、ずっと大臣を務めた竹中氏 ©共同通信社

「竹中大臣を辞めさせれば、あんたを応援する」

 やっぱり反対があっても、議論の末にまとまっていくと、それなりの政策になってきたんです。それは、自由な活発な議論を促し、そのための準備をしてきた竹中さんの役割が大きかったと思うな。役人の見解と竹中さんの見解は違う場合があるんだけど、侃々諤々の議論をした後に政治家が判断する。私はあんまり党内の反対は気にしなかったから、最終的にはなんでも自分で判断した。

ADVERTISEMENT

 ある時、面白いことがあったんだよ。あるかなり有力な政治家が「総理に会いたい」と言って官邸に来たんだ。総裁選がある前に、「竹中大臣を辞めさせれば、あんたを応援する」と言ってきた。私は「それはできない。続投させる」と返事したら、その人は総裁選で私を応援したよ。5年5カ月続いた私の内閣で、ずっと大臣を続投したのは竹中平蔵さん、ただ一人です。

「森さんの閣僚になってくれないか」と頼むと……

元東大生F 竹中さんとはどのような経緯でお知り合いになられたんですか。

小泉 竹中さんは慶応で教えていて、テレビでもいろいろ発言して、活躍していたでしょう。私の友人が親しくしていて、「ああいう人の意見を聞いておいたほうがいいぞ」と言うから紹介してもらって、総理になる前から5~6人で経済政策の議論をひそかにしていた。

 森さんが総理になった時、「竹中さんを何とか大臣にしたい。小泉さん、親しいだろ。口説いてくれ」と言われたの。で、竹中さんと食事して、「何とか森さんの閣僚になってくれないか」と頼んだんだよ。なかなか「うん」と言わないんだ。「私は森派の会長をしているんで、森政権を支えていく立場なんだ。竹中さんが大臣なってくれ。何とかオーケーしてくれよ」と言ったんだけど、頑として言うことを聞かない。「私はその器ではありません」とか「学者と政治家とは違います」とか言われて。

小泉政権の「キーマン」だった安倍氏と竹中氏 ©共同通信社

 で、最後に俺が「頼む、頼む」と言っても言うこと聞かないんだよ。「仮に小泉内閣ができたらオーケーします」と言うんだよ。「そんなのいつできるか分かんねえぞ」と言ったんだけれども、俺はその言葉を忘れなかったんだよ。

蒲島 で、総理になって、すぐ……。

小泉 「あんた、小泉内閣だったら受けると言っていたじゃねえか」と言った。竹中さんは「そんなこと言いましたっけ」と笑っていた。それで小泉政権で大臣になった。