「特別の教科」道徳が四月から小学校で始まったわね。安倍政権が推し進めてきた道徳の教科化は、いじめ自殺事件が契機と報道されているけれど、本当にそれだけかしら? 道徳心豊かな人間を育てることに、国民の多くに異論はない。でも、「教科」への格上げで果たしていい結果につながるのか。心配は山積よ。
教科になると、検定教科書を使うようになる。従来の教材は読み物が中心だったけど、文科省は、「考え、議論する道徳」への転換を打ち出し、特定の考えを押し付けるようなことはしないと言っている。でも検定を通った教科書を見ると、「これが?」という感じ。例えば、小学一年生の教科書8社全てに登場する「かぼちゃのつる」のお話では、畑の外側の道や隣の畑にまでつるを伸ばすかぼちゃをわがままと捉えて設問を設ける教科書が目立つ。世界は多様な個を認める社会に舵を切っているのに、一つの価値観に集約していこうという方向性には、大きな違和感を覚えるわ。
次に、通知表で評価がつくようになる。道徳の成績は、内申書に記載しない、入試には影響しないとも言われているけれど、小学校高学年にもなると、感受性の高い子は「求められる道徳性」を察知し、先生の期待にそった言動をしてしまう。そして本当の自分との心のギャップに苦しむ。
ルールを守る、郷土を愛する、お年寄りを大切にする、いじめはダメ――わかっているけど、実行できない自分。この溝を埋めていくのが、本来の道徳教育のはず。だからこそ、自分の気持ちにしっかり向き合い、先生や仲間と対話することこそ、道徳教育の大事なポイントなの。
来年度から中学でも道徳は教科になる。保護者や大人も、授業でどう教えられているかアンテナを張り、疑問点は学校に尋ねたり、家族で議論したり、場合によっては軌道修正も必要かもしれないわね。