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「野球をやっていていいのだろうか」能登を背負った球児「日本航空石川」が甲子園に立つまでの「葛藤」と親の「内心」

「野球をやっていていいのだろうか」能登を背負った球児「日本航空石川」が甲子園に立つまでの「葛藤」と親の「内心」

日本航空石川センバツ出場秘話#1

source : 週刊文春Webオリジナル

genre : ライフ, 社会, スポーツ, 教育

note

航空石川、選抜出場確定という吉報

 愉一郎さん自身も、かつては能登から甲子園を目指した高校球児だった。福森くんが愛用するグローブは、父の愉一郎さんが野球チームで使っていたもの。硬式野球を始めた福森くんから「使いたい」と言われ、譲り渡したのだという。ミズノ製で20年以上前のモデルだ。

 航空石川の選抜出場が確定したのは、1月26日。

「つらい状況の中でも、選抜出場の吉報を聞くことができた。ただ、野球部の中で、葛藤のなかったもんはおらんやろう。能登方面の高校は野球もできん状況やけど、航空石川は兄弟校があって、学校や山梨のおかげで、練習をすることができた。避難所の人たちはみんな応援してくれるけど、世の中は野球が好きな人ばっかりじゃない。『能登のため』と言われるけれど、背負い込まず目の前のことを一生懸命やるしかないわな」(同前)

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甲子園 Ⓒ文藝春秋

 そして迎えた試合当日――。

 航空石川が1点ビハインドで迎えた8回表、ツーアウト満塁のピンチに伝令役としてマウンドに駆け寄ったのが福森くんだった。出場機会はなかったものの、家族で応援に来ていた愉一郎さんは、ゲームセットの瞬間、少し間を置いて呟くようにチームを称えた。

「ようやった」

先発した新2年生の左腕・猶明光絆くんは富山県氷見市で被災

 先発した新2年生の左腕・猶明光絆くんは、あの日、母親の実家のある富山県高岡市で家族とともに被災した。自宅は同県氷見市。石川県の惨状に霞みがちだが、最大震度5強が揺れに襲われた富山県も、1万2000棟を超える住宅に被害が生じている。

 猶明くんの父・享さんが振り返る。

「家族や氷見の自宅の方は大丈夫だったんですが、地震の被害の大きさに、光絆も傷ついていました。直後はメンタル的にもツラかったようです。でも、野球部の同期に長井くんがいたことで救われました」

 長井くんとは、8回途中、猶明くんから2番手のバトンを受け取った投手の長井孝誠くんのこと。2人は氷見市の同じ小学校の出身で、以来、中学、高校と一緒のチームで野球を続けてきた幼馴染にしてライバルだった。

「能登キャンパスには戻れず、練習再開の目途がつくまでは、2人でキャッチボールやトレーニングをして過ごしていました。山梨に行ってからは、中村監督や地域の皆さんにも支えてもらった。“被災地のチーム”と期待されるのは仕方ない。上を向いて、やれることを目いっぱいがんばってほしいと思っていました。先発投手の発表を見たときは、ゾクゾクしましたよ。結果は残念でしたが、いい戦いっぷりでした」(同前)