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「野球をやっていていいのだろうか」能登を背負った球児「日本航空石川」が甲子園に立つまでの「葛藤」と親の「内心」

「野球をやっていていいのだろうか」能登を背負った球児「日本航空石川」が甲子園に立つまでの「葛藤」と親の「内心」

日本航空石川センバツ出場秘話#1

source : 週刊文春Webオリジナル

genre : ライフ, 社会, スポーツ, 教育

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震度7の熊本地震で被災 新2年生捕手・藤本将大くん

 航空石川ナインには、北陸出身者以外にも被災経験者がいた。熊本県から入学してきた新2年生捕手の藤本将大くんだ。藤本くん一家は2016年4月に起きた最大震度7の熊本地震で被災した。父の幸保さんが振り返る。

「熊本市の自宅アパートの中が崩れ、それから2カ月間、家族で車中泊していました。息子は当時小3かな。航空石川に入学してから、能登では何度か地震があり、その度に心配していました。揺れると熊本地震がフラッシュバックして怖いと話していたこともありました。去年の5月に地震(令和5年奥能登地震)が起きた時は、遠征先からバスで戻っている最中だったそうです」

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 今年の元日は、それまでの群発地震を遥かに超える被害が能登半島全域を襲った。全国から集まってきた航空石川の部員は、ほとんどが直接被災したわけではない。それでも、最大被災県から選ばれたチームとして、過度の期待が寄せられた。

「かけられた期待の重さに動揺がなかったといえば、ウソになると思います。でも、全力を尽くすことで、被災地の希望になれれば」(同前)

堂々と登場した日本航空石川野球部 Ⓒ時事通信

チームをまとめあげた主将の外野手・寶田一慧くん

 チームをまとめあげてきたのが、主将の外野手・寶田一慧くんだった。歴史的な災禍に直面してなお、多方面の人たちから支えられ、チームは甲子園という大舞台に立つことができた。福井県越前市出身の寶田くんは、周囲への感謝と“第二の故郷”でもある能登への思いを何度も口にしてきた。

 父の裕通さんが語る。

「福井の実家にいた頃はのんびり暮らしていましたが、親元を離れて進学し、いろんな人との出会いがあり、感謝や気遣いができるようになったんだなと、成長を感じました。よくやっているなと感心しています。常総学院戦のあと、息子には『いい試合をしたんだから、胸を張って帰ってこい』と伝えました」

 選抜を終えた航空石川は、山梨キャンパスを離れ、4月から仮校舎となる東京都青梅市の明星大キャンパスに拠点を移す予定だ。夏の甲子園に向けた戦いは、すでに始まっている。

「野球をやっていていいのだろうか」能登を背負った球児「日本航空石川」が甲子園に立つまでの「葛藤」と親の「内心」

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