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OB会や父母会の希望と、同調圧力が合わさった結果…

 今は、「丸刈りを強制している」と思われたくない学校が増えている。高校野球の「丸刈り」は「パワハラ体質」を象徴しているようで、イメージがよくないし、生徒もあまりうれしくないからだ。

 しかし一方でOB会や父母会の中には「高校野球らしい髪型を」と丸刈り頭を望む人がいまだに少なくない。こういう微妙なせめぎあいの空気の中で「髪型自由だけど、実際は丸刈り」みたいな学校が多いのだろう。

 そういう学校でも「自由な髪型にしたい」と思う選手はいるだろうが、周りがみんな丸刈りだと「同調圧力」を感じて、丸刈りにしてしまうという日本的な風景も見られるようだ。

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 かと思えば、「選手が自主的に丸刈りにしている」と強調する学校もある。「公式戦の前には、バリカンとカミソリをもって互いに頭を剃って、五厘刈にして気合を入れるんです」みたいな。5厘とは「約2ミリ」のことで、出家僧のようなクリクリの坊主頭だ。

 そもそも僧侶の坊主頭は「煩悩を断ち切って修行をする身」であることを意味していると言う。昭和の時代までの高校球児も「修行中の身」だったと思えば説明がつく。慶応高校の「Enjoy Baseball」とは対極をなす価値観だと言えよう。

「美白王子」として話題になった慶応高校の丸田湊斗選手 ©時事通信社

 筆者の見るところ、公立高校ではコロナ禍以降、大部分が「髪型自由」になった印象がある。そしてその中でも長髪の選手の方がずっと多くなった。

 そういう学校に取材に行くと、制服姿の選手に話を聞くときに「誰が野球部なのか」わからなくて、戸惑ったりする。

 不思議なことに、丸坊主でなくなると、選手の対応も「あ、こんにちは」みたいに普通の高校生のような受け答えをする子が増えたように思う。

 今年の春の甲子園の選手宣誓は「髪型自由」の青森山田の橋場公祐主将が行った。筆者はスタンドで見ていたが、春風に髪の毛をそよがせながらの選手宣誓は、中々さわやかだった。

センバツで選手宣誓をした青森山田の橋場公祐主将 ©時事通信社

「宣誓。今ありて未来も扉を開く。今ありて時代も連なり始める」で始まり、能登半島の地震被害に思いを致し、最後は「今日までの100年を、今日からの100年へ」と選抜100年にも触れて、実に格好良かった。

「丸坊主の方が高校生らしくていい」という声は、年々減って来るだろう。そして「同調圧力で丸坊主」の学校でも「僕は長髪で野球をやる」という勇気ある選手が出て、そこからベルリンの壁が崩れるように「自由化」の波が拡がるのではないか。

 そうなれば、高校野球の未来は明るいのだけども。