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わたしは固く信じているが、教養はほかのことをすべて忘れてしまったあとにも残る。教養のある人たちと話をしたいのなら、本書に収録した「教養のための必読リスト114冊」にある本を何冊か読んでみることだ。
読書とは「最高の賢人」たちと話せる行為
すでに見てきた通り、先人たちの名著も含まれている。これが文学にできることだ。先人と言葉が交わせるだけでなく、彼ら先人とほかの先人たちについて語り合う。ただの先人たちと話すのではない。人類史上最高の思想を備えた人たちと話すのだ。最高の賢人たちと話せるのだ。
ジョン・キーツはこの思いを、「チャップマン訳ホメロスとの最初の出会い」に書いている。キーツは苦々しく記しているが、ホメロスの『イーリアス』も『オデュッセイア』も、ジョージ・チャップマンによる1616年の翻訳版を手にするまで読んだことがなかったのだ。「チャップマン訳ホメロスとの最初の出会い」をキーツが詠んだのは1816年、21歳の時だ。この5年後にキーツは25歳で没している。
どうか心に留めてほしい。人によるが、人生の支えになる本に巡りあえる時間は思っているよりかなり限られているのだ。