私は、ようやく発信する力を実感できるようになってきた。
ただし「発信力」ですべてがかなうことはありえない。繰り返すが重要なのは「大義」や「正義」だ。それがあって初めて情報がパワーを持つのである。
「サップ西成は一度死んだ」と実感した理由
おかげで新たな若い層が私の元に集まるようにもなった。先日、西成道場で練習をしていると、見たこともない子供が突っかかってくるではないか。YouTubeにありがちな、いきった子供の殴り込みだ。
その子供は、BREAKING DOWNの大阪オーディション会場で私とすれ違ったという。「サップ西成」を知らない少年にとって、私はただの「おっちゃん」にしか見えない。
そんな普通のおっちゃんに、なぜ会場にいる屈強な、しかも悪そうな人たちがペコペコと頭を下げ、尊敬されているのかが納得いかないそうだ。だから本当に強いかどうか試しに来たのだという。
そうまくし立てる言葉を聞いて私は少し安堵した。
「やはり最強の半グレと呼ばれたサップ西成は一度死んだんや」
と。
どうしても手合わせをしたいというのでリングの上で相手をした。あの時の「サップ西成」であれば、全力の左フックで瞬殺していたはずだ。だが今の私は手加減をしながら指導することができる。後輩たちは子供の無礼を非難するが、私にとって、そうした時間はとても楽しい。
今までとは違う自分になることができるのか
そんな時に、瓜田氏から、
「手伝ってほしい」
との連絡があった。BREAKING DOWNに出場できるめぼしい選手を集めてほしいとのことだった。私はアンディ南野氏と協力しながら、何人かの選手を予選に送り込んだ。
きっと私の元にはこれから、多くの「やんちゃ」が尋ねてくるに違いない。それは栗本先生に出会った当時の「私」である。私のようなひねくれた、複雑な性格の「やんちゃ」をどう導いたらいいのか──まだ答えは見つかっていない。
もしかすると、そのことでトラブルに巻き込まれるかもしれない。先生が私にしたように寛容で居続けられるかどうか、試されるのは私自身だ。
少なくとも50歳まではリングに上がり続けるつもりだ。その意味で、私は格闘家としての余生を楽しんでいると言えるだろう。
人間にはターニングポイントがある。今、私は何度目かの「ターニングポイント」に差しかかっていることは間違いない。今までとは違う「サップ西成」になることができるのか──挑戦は始まったばかりだ。