大阪の「西成」で生まれ育ち、かつて「大阪最強の半グレ」と呼ばれていたサップ西成氏。地下格闘技の選手を経て、地下格大会の運営者となり、現在は格闘技イベント「BREAKING DOWN」への参戦や格闘技大会のプロモートなどに邁進している。
そんなサップ西成氏が、激動の半生を綴った著書『サップ西成自伝 奪還 「大阪最強の半グレ」と呼ばれた男』(徳間書店)を上梓した。ここでは同書より一部を抜粋。「BREAKING DOWN」参戦後のサップ西成氏の変化を紹介する。(全4回の4回目/3回目から続く)
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発信力の効果
結果的に私は「BREAKING DOWN」の8、9、10と出演し、ひな壇に上がるようになった。11では大阪軍団の総大将という位置づけでチームを率いた。
「サップ西成」の知名度はオーディションに参加する希望者世代にはほぼなく、むしろ運営クラスの層が選手時代の私をよく知っている。特にひな壇人気ナンバー1と言っても過言ではない瓜田氏との出会いは、前述した通りである。
あの一件以降も交流は続いていた。
多くの若者が視聴する優良コンテンツに出演したシナジーの1つがメディアの取材だ。
「BREAKING DOWN」出演をきっかけに、私の過去が改めて掘り起こされることになった。特に襲撃事件の衝撃力は現在でも通用するようで、「サップ西成」の伝説がSNS上で独り歩きするようになってしまったのである。
だいぶ「盛った」情報ということで、当人の私に確認のための取材申し込みが増えていった。
露出が増えたことによるお店への影響
本書が発売される時点で、すでに襲撃事件から実に約10年の時間が経とうとしている。前田氏のメンツを考えれば沈黙が最良なのだが、私としても間違ったイメージが増幅することで、私の社会生活に不利益が生じることは喜ばしいことではない。
あの時は若くて、勢い任せだったのだ。「サップ西成」と別れていた10年でそのことに気がついた。今更だが事件への反省を言葉にして、取材を受けることにしている。もし機会があれば前田氏に直接謝罪したいと願っている。
もちろんそれで許されるとは思っていないが、ケジメは付けたい。
露出が格段に増えたことで、北新地のお店の集客力は確実にアップした。かつての「サップ西成ファン」も今では北新地でお酒を飲む年代である。そうした人たちを中心に、店を訪れてくれることが、とても喜ばしい。