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 私が小学生の頃は、小学校の教員は役職が上がると、よほど優秀な人材以外は、まずは僻地に単身赴任で飛ばされるのが恒例だった。幸せな家庭であれば、家族がバラバラになってしまう単身赴任は、まず望まないだろう。

 しかし、我が家は真逆だった。

 父にとっては僻地での気ままな一人暮らしは渡りに船だったのだ。むしろギスギスした家庭から離れられるいい機会で、せいせいしたに違いない。それは母も同じだったのだろう。双方の利害は、驚くほど一致していたのだ。

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父の単身赴任が決まった時、母は……。

 父が僻地に飛ばされる辞令が出た日のこと――。あのときの母の表情は、今も忘れられない。

「単身赴任が決まったぞ。〇〇学校に行くことになった」

 そんな父の言葉を受けて、母は万歳して、喜んだのだ。

「あら! よかったじゃない」と。

 そして満面の笑みを浮かべた。このとき、母が父の出世だけを喜んでいるわけではないことを私はわかっていた。母が何よりも嬉しかったのは、父が単身赴任で数年間にわたって家から姿を消すことなのだ。

 母の喜ぶ姿を見て、私が一緒に無邪気に喜んだのも事実だ。当時の私にとって、母の歓びは私の歓びだったからだ。父の単身赴任が決まった夜、私たち一家は車を出して久しぶりの外食を愉しんだ。母にとっても父という存在はお荷物でしかなかったのだ。

 もはや、私たち一家が内部崩壊していたのは間違いなかった。両親は、お互いに離婚という汚点を残さないために、立派な一戸建てという監獄の中で、仲むつまじい家族を演じ続けた仮面夫婦に過ぎなかったのだ。