幼少期より実の母親からあらゆる虐待を受けていた、ノンフィクション作家の菅野久美子さん。『母を捨てる』(プレジデント社)は、母親の呪縛から逃れるため人生を賭けて「母を捨てる」までの軌跡を描いた壮絶な一冊だ。
小学校高学年に上がると、母親が選んだ服装などを理由に、クラスメイトから“いじめ”が始まった。中学に進学する直前、意を決して「いじめにあっている」と告げると、母親はその場で――。本書より、一部を抜粋する。(全4回の4回目/はじめから読む)
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クラス全員から「バイ菌」扱い
休み時間になると、私が近づくだけで、誰もがすさまじい勢いで笑いながら逃げていった。私は「バイ菌」で、私に触れたら何かに「感染」するらしい。それは、同時に私と「同類」のカーストに落ちるということでもあった。クラスメイトの誰もが、私のように「仲間外れ」にされることを恐れ、この同調圧力による残酷なゲームにのっかっていた。
そのため私は、誰一人としてクラスメイトに近づくことは許されず、プリント用紙を手渡そうと男子に近づいただけで、「近づくな!」と蹴られたこともあった。そして、私はますますクラスメイトから孤立するという、いばらの道を辿っていくのだった。
いじめで一番困ったのが、昼休みの時間だ。授業時間や授業の間の休み時間はまだいい。しかし、昼休みの時間は45分近くもある。そして、その時間は誰もが友だちと遊んでいる。本来であれば勉強から解放される子どもにとって一番楽しい昼休みは、私にとってはもっともつらくて苦しい時間でもあった。
私には遊んでくれる友だちが誰一人いなかった。そして、そんな長時間、教室にいてもいじめの餌食となるだけなのだ。私が長い昼休みをどう過ごすか、それは大問題だった。
唯一の居場所が図書室だった
そんな私にとっての唯一の居場所が、図書室だった。
昼休みの図書室はガランとしていて、基本的に誰もこない。だから私は図書室にこもって本ばかり読んでいた。私は動物の伝記モノに夢中になった。椋鳩十に『シートン動物記』、『ファーブル昆虫記』、江戸川乱歩のようなミステリも読んだ。
動物の世界には人間の世界のような意地悪さがなかった。本だけが私の友だちだった。空想の中に飛び立てば、つらい現実から逃げられる。学校というどこにも行き場のない閉鎖空間で、私にとって外に開かれていたのは図書室だけだったのだ。
読んでも読んでも図書室には無限に本があった。私には図書室しか居場所がなかった。行く場所がなかった。図書室は逃避場所で、本の中の世界にいるときだけ、私はこの不自由な体を脱ぎ捨て、唯一自由になれた。