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「僕をイジメた人たちがSNSで楽しそうにしているのを見て…」15年前のイジメ後遺症に苦しむ男性(31)が、今でも思い出す“掃除の時間”の絶望

「僕をイジメた人たちがSNSで楽しそうにしているのを見て…」15年前のイジメ後遺症に苦しむ男性(31)が、今でも思い出す“掃除の時間”の絶望

2023/10/26

genre : ニュース, 社会

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 2006年当時、神奈川県内の公立中学校に通う2年生だったヒロシさん(31・仮名)は、当時受けていたいじめの後遺症に苦しんでいる。

 同級生たちから暴行を受けたときの悪夢にうなされる、受けたイジメがフラッシュバックして感情を抑えられなくなるなどの症状が今も続き、精神科では「心的外傷後ストレス障害」と診断されている。

「今でも睡眠薬を飲まないと眠れないんです」というほどのダメージをヒロシさんの精神に残したイジメは、中学2年の1学期に始まった。クラスの男子の半分を占めていたいわゆる“ヤンキー”の生徒たちが、ヒロシさんをターゲットにしたのだ。

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15年がたった今もイジメの後遺症に苦しむヒロシさん

コンパスの針を自分に向けて「死んでやる!」

 きっかけは本当にささいなことだった。

「昼食を済ませた後、牛乳のストローを班で回収していました。普通はジャンケンで公平に決めるんですが、僕の班では、あるとき僕のところにだけ来るようになった。『ジャンケンで決めないか?』と提案したんですが、採用されません。そしてある日、同じ班のヤンキー生徒の1人が牛乳の容器を僕の頭に被せようとしたんです。それが不愉快だったので、抗議の意味で、コンパスの針を自分に向けて『死んでやる!』と言ったんです。他人に(コンパスを)向けると危ないので、自分に向ければ無難で、話を聞いてくれるかなと思って。おかげで担任も介入し、口頭で注意していたと思います」(ヒロシさん)

 中学2年生男子の平均身長は162cmだが、当時のヒロシさんは149cmと小柄で、体格では他の生徒たちに太刀打ちすることは難しかった。自殺未遂とも取れるヒロシさんの抗議によって周囲の生徒や担任の教師も騒動に気づき、牛乳の容器を押し付けようとした生徒も口頭で注意を受けたという。

「この段階では、『イジメ』までは行ってなかったと思います。色物扱いはされましたが、女子たちは静観していました。ただ、これがきっかけで2学期から本格的にイジメが始まりました。でもあの時コンパスで抗議したことについて後悔はしていません。あれ以外で、状況を変える方法はいま振り返ってもわかりません」(同)

 ヒロシさんは後に、この時のことをブログに書いている。

《私は小学校低学年の時から不良系生徒からいじめられたり舐めた態度をとられてきた経験から、「強気を装う」「虚勢を張る」というのを心がけることによって高学年~中学校一年あたりまでは「一定の効果」があったのですが、中二では逆にそれが仇となって不良集団からいじめられたりしました。いったいどうすればいいんだ?》

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