幼少期より実の母親からあらゆる虐待を受けていた、ノンフィクション作家の菅野久美子さん。『母を捨てる』(プレジデント社)は、母親の呪縛から逃れるため人生を賭けて「母を捨てる」までの軌跡を描いた壮絶な一冊だ。ここでは本書より、一部を抜粋して紹介する。

 小学校高学年に上がると、母親が選んだ服装などを理由に、クラスメイトからの残酷な“いじめ”が始まって――。(全4回の3回目/はじめから読む)

※写真はイメージ ©AFLO

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「女の子」であることをけっして許さなかった母

 小学校高学年になると、私の環境はめまぐるしく変化した。その頃から、激しいいじめがはじまったのだ。よく考えてみれば、私は昔からクラスメイトの中でもっとも浮いた存在だった。今思うと、私自身が一種の異様さを醸し出していたと思う。

 男の子用の短パンに、親戚の男の子のおさがりのよれよれロングTシャツ、そしてスポーツ刈り――。それが、私の小学生時代のデフォルトだった。

娘に女の子らしい服装や髪型を許さなかった母親は、親戚の男の子のおさがりを着せた ※写真はイメージ ©AFLO

 それは今振り返ると、母親がミソジニーの塊であったからではないか、とふと気づかされる。ミソジニーとは女性に対する憎悪や嫌悪を指す用語で、女嫌いとも言う。男性だけでなく、女性が抱くこともある。

 母は私に、「女の子」であることをけっして許さなかったのだ。そして、その芽を徹底的に摘み取っていた。

母のゆがんだ女性性

 母の口癖は、「女なんて汚い生き物だから」「女なんて、すぐ裏切るから」――。なぜ母が女性を憎悪していたのか、今となってはわからない。しかし、もしかしたら母の生い立ちに秘密があるのかもしれない。詳しくは後述するが、幼少期から祖父母の「愛」を独占していたのは、つねに別の女きょうだいだったからだ。母は、そんな女きょうだいを見て、ミソジニーを募らせていったのかもしれない。

 しかし、母の第1子として生まれた私は、れっきとした「女の子」である。私は母の虐待の根源には、そんなゆがんだ女性性のねじれを見る。