監督生活8年間で、日本一を含めて4度のリーグ優勝を果たした落合博満氏。中日ドラゴンズの黄金時代を築き上げた手腕に疑いの余地はない。しかし、落合政権下の中日ドラゴンズは、球団経営の柱ともいえる“観客動員”が振るわなかった。一方、立浪監督が率いるドラゴンズは、2年連続最下位を記録しながらも、球団史上初のリーグ2連覇を成し遂げた2011年を上回る入場者数を記録した。

 勝てばお客さんが増えるのがプロスポーツ界の常識であるにもかかわらず、いったいなぜこの逆転現象は起こったのか。ここでは、スポーツライターの喜瀬雅則氏による『中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由』(光文社新書)の一部を抜粋。謎の手がかりを追う。(全2回の2回目/前編を読む)

©文藝春秋

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楽しそうに見えなかった落合中日

 昭和28年生まれだから「28会」と呼ばれている。

 そのメンバーに、監督経験者が5人もいる。

 中畑清、真弓明信、梨田昌孝、田尾安志、そして落合博満。

 同じ年で、ともに中日に所属した経験があり、後に監督を務めたこともあるという、実に似たキャリアを歩んできたのが、田尾安志だった。

 田尾は中日の1975年ドラフト1位。4年連続3割をマークし、選手会長も務めていた1985年のキャンプイン直前、西武へトレードされる。

 ここでは同級生・落合博満の“監督としての手腕”を、同じ監督経験者としてどう見たのかという、新たな視座がテーマになる。

『数字』に走ったのは間違いではない

「落合っていう監督が8年やって、ずっとAクラス。優勝もした。やっぱり、名監督なんだろうなと思うんだけどね」

 そう敬意を表した上で、田尾は「選手たちの表情が暗い」と、落合政権下での8年間の印象を、実に端的な表現で定義してくれた。

田尾安志 ©文藝春秋

「外から見ていてね、野球をやっていて、楽しそうに見えなかったんだよ。僕らがやってた頃は勝ったり負けたりだったけど、野球をやること自体は楽しかった。『勝ったらいいんだろ』ということだったけど、落合はやっぱり、人気のない球団でずっと育った選手だったから、そこで何かをアピールするといったら『数字』しかない。だから、そこに走ったというのは、間違いじゃないとは思うんだよな」