「お前、俺がいなくなったら、活躍できるよ」
要するに、右打者の自分がいなくなったら、後釜はお前だというわけだ。今になって思えば、山﨑のその後を予見していたかのような“後継指名”でもある。
選手の能力を見抜く“落合の目”
「俺、その時、まだ1軍半で行ったり来たりで、結果も残してない。タイトルも獲る前ですよ。それなのに、あの人にそう言われたのを覚えてるんだよ」
山﨑が39本を放って本塁打王に輝いたのは、その3年後の1996年だった。
主砲と呼ばれる立場になって初めて、落合の“言動の意味”が分かった。
「今思うとね、イビる人、知っとるのよ、あの人。怖いでしょ。見てるところはやっぱり見ている。そのうちこいつは出てくるな、ってね。ボクシングでいえば、ずっとジャブを打ち続けておくわけですよ。ジャブを打ち続けるけど、ガーンとは行かへんのですよ」
そうやって“出てきそうな杭”をけん制し、抑え込んでおいたわけだ。
ちなみに、大豊が本塁打、打点の2冠王を獲得したのは、落合が中日からいなくなった後の1994年のことだった。
選手の能力を見抜く“落合の目”は、それだけ鋭いのだ。
プロ野球は「勝つだけじゃダメ」
終盤のタイトル争いになり、優勝争いから脱落した相手チームにライバルがいると、投手が打たせないように勝負を避けてくることが目立ってくる。
それは、プロとしてひきょうだ。もっとフェアにやるべき。
そんな建前論に、落合は冷ややかな表情で、私たちをたしなめたものだ。
「それまでに打って、上にいっとかないから、こんなことになるんだよ」
そのシビアさこそが、プロフェッショナルだ。しかし、そこには、血の通った温かさのようなものは、残念ながら感じられない。
プロ野球は「興行」でもある。ファンを楽しませて、なんぼ、という世界でもある。
星野は中日監督11年で、リーグ優勝は2度。中日での日本一はない。
監督としての実績は、どう見ても落合の方が上だ。それでも、名古屋の絶大なる支持はこの世を去ってからも、星野仙一という男を常に際立たせている。
その差は、どこにあるのだろうか。
2005年、新規球団の楽天で田尾は「初代監督」を務めた。