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排泄の介助に抵抗がなかった理由

――当初、排泄の介助などに抵抗感みたいなものはありましたか。

安藤 抵抗は特になかったですね、嫌だというイメージもなかったというか。多分大人になってから他人の排泄を見るのってショックだと思うんですけど、子どものうちからそれが日常だったと言いますか、いろいろなものを知る前に日常になったから平気だったのかなと。

――どれくらいの間隔で施設に通われていたんですか。

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安藤 中学生からは毎週末、自主的に伯父のところに行っていましたね。柔道部とボランティア部に所属していたんですが、ボランティア部は名ばかりで学校での活動が一切なかったので、「じゃあ施設にお手伝いに行こう」という感じでした。

 土曜日に授業が終わって帰り、お昼ご飯を食べて14時くらいに家を出て、16時くらいに施設について、そこから次の日まで滞在していました。

小学生時代の安藤なつさん(本人提供)

――子どもの頃、介護に携わる中で、心が折れそうになった瞬間などはなかったですか。

安藤 当時、必要な方には添い寝をしていたことがあって。お腹が空いて夜食を食べたい時に、なかなか添い寝で寝てくれない場合に、心が折れそうになりましたね。

 でも寝てくれるコツを掴めた時は嬉しかったですね。「この方はこういうリズムで寝るんだ」とか。日にもよるんですけど。

病気の特性を活かし、試行錯誤しながらお手伝い

――伯父さんの施設でお手伝いしているときに印象に残っているエピソードはありますか。

安藤 認知症のおじいさんで「俺は昔スパイだったんだ」と言う方がいらっしゃって。最初は「エーッすごいですね」と聞いていたんですが、だんだん知らない銃の名前がたくさん出てくるようになって。トカレフだとか、いろいろ教えてくれて「本当っぽいな」と。

 

――すごいですね。

安藤 あとはこれも認知症のおばあさんの話なんですけど、日曜日の朝、私がその方の部屋に行って着替えてもらってから、一緒に朝食を食べに行くという任務があって。当時は認知症というものが何なのかわからず「忘れっぽいおばあちゃんだ」ということだけ認識していたので、毎週「覚えているかな」と思いながら会いに行くんですね。

 最初はなかなか着替えてくれなくて、いろいろと試行錯誤してみるんですよ。忘れっぽいという特性を活かして、ダメだったら一旦部屋から出て、キャラ変更してもう一度部屋に入ったり、テンションをあげてみたり。