旅するカップルYouTuberだったこうへいさんとみずきさん。ところが、みずきさんの突然のがん発覚。すでにステージ4にまで進行しており、「余命4カ月から2年」という宣告を受けてしまう。さらにはネットではサニージャーニーに対する疑念の声やバッシングまで……。
前編では、みずきさんに訪れた最初の異変、そして事の重大さに気付けなかったこうへいさんの後悔を紹介。サニージャーニーによる初の著書『日本一周中に彼女が余命宣告されました。~すい臓がんステージ4 カップルYouTuber 愛の闘病記~』(双葉社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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最初の異変
みずきの最初の異変は旅もまだまだ序盤の頃だった。
宮崎県に入った頃、時期で言えば出発から1カ月経ったくらい。
お腹が痛い、とみずきが言った。「病院行こうか?」と聞くが、「すぐ治ると思うから大丈夫」と、病院に行くのを拒んだ。
基本、みずきは病院があまり好きではなく、多少の体調不良は寝て治すことが多い。僕も「さすがに旅の疲れが出たかな」とそんなに深刻に捉えていなかったように思う。“思う”と書いたのは、正直この当時のことをほとんど覚えてないからだ。当時の様子は特に記録も取っておらず、この原稿もGoogleマップの履歴を見て思い出しながら書いている。
今これを読んでいるあなたは、1年前の“仕事を休むほどではない体調不良”を覚えているだろうか? ほとんどの人は、正確な日時も症状も忘れてしまっていると思う。
そのくらいの小さな違和感だったのだ。しかし、その違和感が思いのほか長引いた。動けるし、元気に撮影はできるけど、“いつもより少し体調が悪い”という日が増えていき、不安になった僕は「病院で診てもらおう」と何度も提案した。
「病院代もったいないし、いいよ」と、みずきは頑なだった。
確かに、鹿児島の離島で思った以上に費用がかかってしまい、お金がなかった。だからみずきの意見もよくわかったし、僕が逆の立場でもそう言っただろう。
仮に当時の状態で検査をしても、すい臓がんが見つかる可能性は極めて低かった。だけど僕は今でも夜寝る前に後悔する。このときを思い出すと、暗い海の底に沈んで行く気分になる。少しでも可能性があるときになぜ病院へ行かなかったのか?
「もし」「なぜ」「しておけば」
後悔は心を蝕む。
「大事な人を守れたのは自分しかいなかった」
にもかかわらず、目の前の膨大な仕事、この先の生計の見通し、さまざまな雑事に追われてきちんと向き合わなかった。誰に何百回「あなたは悪くない」と言われても、僕の心の一部は深く沈んだまま浮き上がってはこない。