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民間企業なら謝罪会見で頭を下げるが……

 謝罪を口にするが頭は下げない。部下は頭を下げているのに、偉そうな口調と態度の大臣は頭を下げない。偉そうに見えれば見えるだけ、頭を下げない麻生氏の態度が、トップとしての責任に目を瞑っているようなイメージを与えた。

 というのも、民間企業なら謝罪会見で頭を下げるのが当然、トップとして辞任するべきだと思うからだ。だが、ここには見ている側のバイアスも含まれる。バイアスは思い込みや思考の偏りだ。省庁は民間企業ではなく、大臣は経営者ではない。民間企業の謝罪をステレオタイプとして監督責任を問う声に、麻生氏は「立場が違う」と述べた。当然、そこにはギャップが生じて批判が起こるが、麻生氏はそんな批判をものともしない。丁寧に説明することもしない。あの口調と態度で「職責を果たすのがトップの姿」と述べるのだから、ますます大臣としての監督責任を問う声が強まったのだ。

裏表がないから、つい正直に話してしまう

 失言や暴言の数々も不遜と思われる一因である。昨年夏、派閥の研修会でナチス・ドイツのヒトラーに触れ「いくら動機が正しくてもダメだ」と、後輩議員らに政治家の心得を述べた。その後、誤解を招いたと発言を撤回。「ヒトラーは動機も誤っていた」と釈明する羽目になった。とはいえ、今の財務省にこそ、官僚としての動機は正しくてもダメだと発言してもらいたかったものだ。

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 麻生氏の失言には、このような政治的にタブー視されていることが結構多い。精神障害者への差別的な発言や高齢者医療での「さっさと死ねるように」発言など失言集ができるほどだ。裏表がないから、つい正直に話してしまう。わかりやすく話そうとして、つい言い過ぎてしまう、ということらしいが、似たような失言を繰り返すものだから、反省しない、する気がないと思われる。

©文藝春秋

「森友のほうがTPP11より、重大だと考えているのが日本の新聞のレベル」と、TPPの報道が「新聞に1行も載っていなかった」と不満を爆発させたのは先月の事。これがまったくの事実誤認。謝罪に追い込まれても、立憲民主党の枝野代表に「当事者意識を欠いた」「新聞を読んでいない」と批判されても、「日経新聞にはこんなちょっと」と悪びれることもない。首相時代は漢字が読めないことでも名を馳せたくらいだから、これくらいのことは意に介さない。

 しかめっ面が多い麻生氏だが、こういう時はどこまでも楽観的なのである。この楽観的な態度が、逆に見ている側には気に障る原因になる。思い込みで相手を非難する、悪びれずに釈明するという態度は、やはり上から目線で、本当に謝罪する気があるのかという印象を与える。積もり積もった過去の実績?が、あの会見への批判へとつながっていく。