小池氏は「カイロ大学を卒業したのか」という問いかけに対して、常にこう答える。「カイロ大学は認めております」――。この答えにすべてが詰まっているのではないか(小池氏はこの騒動の後にカイロ大学を訪問し、卒業生であることを盛んにアピールした)。
思いつきの政策の数々
2016年の都知事選では、「オリンピックの経費削減」を公約としたが、コロナという異常事態下での開催を都知事として決断。無観客で行われた大会に都税は一体、どれだけ使われたのか。都議会で質問されても国政の問題として言葉を濁し、関係者が次々と逮捕されても、都として検証しようという姿勢は見せない。
選挙では緑を自身のシンボルカラーと定め、環境大臣をしていた経歴を最大限に利用したが、現在、神宮外苑の再開発が小池都政下で進められている。樹齢100年以上の樹木を含む1000本以上を伐採し、最高190メートルの複合施設を作ろうとする、この経済重視の再開発案は、緑を保全しようと考える世界の環境政策に逆行すると批判されても、見直しを図ろうとはしない。米軍横田基地が発生源と疑われる東京都内の飲料水の汚染問題にも取り組まずにいる。
その一方、2023年1月4日、都職員への新年あいさつの中で、唐突に「都内に住む0歳から18歳に月5000円を支給する」と発表。「国が本来取り組むべきだが遅すぎる」と国政を批判したが、これによって、少子化が食い止められると責任を持って言えるのか。小池都知事の一存で決められた太陽光発電の設置義務化にも通じることだが、巨額の税金を使うのであれば、相応の効果がなくては無意味であるし、そうでなければ単に選挙を意識したバラマキであると批判されても仕方がない。費用対効果も、目標設定も十分に計られずに知事が決定し、進められてしまう。これは本来、行政としてあり得ないことだろう。
都知事になるにあたって口にした公約は果たされず、公約にもなかったことが思いつきで決まっていく。メディア受けする派手なイベントによって、自分の価値を上げようとする。都政が私物化され、税金が知事の政治力維持に浪費されていく。
現実として、日本の富は東京に集中している。それらが、いたずらに消費されてしまえば、やがて、その反動は東京だけでなく、日本そのものに及ぶことになるだろう。その時、責任は誰が負うのか。