リニア中央新幹線の構想は、全国新幹線鉄道整備法に基づき、1973年に「基本計画路線」としてリストアップされたことに始まる。起点は東京都、終点は大阪市で、主な経由地は甲府市、名古屋市、奈良市だ。
JR東海が発足する1987年よりも前のことだから、日本鉄道建設公団が建設し、国鉄が営業主体になる計画だった。しかし国鉄の赤字問題の影響で整備計画が作られないまま、構想は塩漬け状態にあった。
JR東海が「自己資金でやります」と手を挙げて動き出した
国鉄が分割民営化され、JRグループが発足したあと、東北新幹線の盛岡~新青森間、北陸新幹線、九州新幹線などの計画は再開されたが、国の財源が足りないため開通まで時間がかかった。
これらの新幹線が開通しないと、次の新幹線に着手できない。だから中央新幹線はずっと待たされていた。それにしびれを切らしたJR東海が「自分でやります。自己資金でやります」と手を挙げたことで計画は動き出した。
JR東海が中央新幹線を急ぐのには2つ切実な理由があった。
1つは東海道新幹線の輸送量がパンクしかけていたこと。東名阪の移動需要が旺盛で、「のぞみ」を増発しても追いつかない。なんとか1時間にのぞみ12本を運行する「のぞみ12本ダイヤ」までたどり着いたけれど、これが増発の限界だ。「ひかり」や「こだま」も増やしたいところだが、「のぞみ」が優先されていた。
もう1つは、東海道新幹線の老朽化だ。開業から半世紀が過ぎて、トンネルや鉄橋などの構造物は抜本的な点検、改修が必要になってきた。国鉄時代にも水曜日などに半日運休を実施して若返り工事を実施していたが、昨年の災害運休の後に起きた大混雑を見れば判るように、もはや半日運休にすることすら許されない輸送量なのだ。
南海トラフ地震を視野に入れた耐震工事も含め、必要によっては鉄橋の架け替えも必要になる。そうなれば半日ではすまない。日本で最も速い鉄道を振替輸送する鉄道は存在しない。だから、新たに作らなくてはいけない。