フェリペ四世の治世が今に語りつがれ、不思議な感情をかきたてるのは、ひとえに宮廷画家ベラスケスの天与の才によるものだ。その超絶技巧は、物のずしりとした実在感ばかりでなく、モデルの魂をも掴み取ったかと思わせる。
プラド美術館の至宝「ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)」は、その尽きぬ謎によっても人々を魅了し続けている。
――まるでオペラの舞台のような奥行きと高さのある空間。主役はフェリペの愛娘マルガリータだ。スペインへ降臨した北方のハプスブルク家なので、王女も真っ白な肌と金髪碧眼を持つ。両側に若く美しい侍女たち。
奥の扉の脇には重臣、その少し手前に男女の侍従。同じく右端にも二人の男女。こちらは小人症の「慰み者」たちだ。文字通り王族の心を慰めるため、宮廷でペットのごとく飼われていた(奴隷制度は理想の国家を造るために必要、と信じられていた時代なのだ)。
左の巨大なキャンバスを前に、絵筆を持って立つのがベラスケス本人。中央の鏡に王と王妃が映っている。
この絵はさまざまに解釈されてきた。ベラスケスが王女の肖像を描いているところへ、王夫妻が突然現れた。侍女のひとりが宮廷式お辞儀をしているのはそのためである。
いや、そうではない。逆だ。王夫妻を描いているところへ、供の者を引き連れた王女が入ってきた。
だがどちらにしてもこれほど大きなキャンバスが使われたことはない、このサイズは「ラス・メニーナス」そのもの。絵の中の絵はこれから描かれる絵なのだ、つまりベラスケスは「ラス・メニーナス」のキャンバスの裏と表、両方を鑑賞者に見せて絵画芸術の複雑性を示したのだ。
いや、いや、そんなはずはない、本作はマルガリータ王女がスペインの継承者だということを内外に示すため描かれた政治画だ、云々かんぬん。
魅惑的な作品は画面構成一つとっても、このように議論を呼ぶ。自らを全く語らなかったベラスケスこそが、実は最大の謎なのだが……。
■王と王妃
これは鏡。幻のように映るのはフェリペ四世。髪やヒゲ、顔の輪郭からすぐわかる。スペイン・ハプスブルク家の黄昏に、無能呼ばわりされながら玉座を温め続けた王だ。隣に立つ妃は、彼の姪で以前は息子の婚約者だった。息子が病死したため、自分の再婚相手とする。伯父・姪婚。彼らの祖父母もまた伯父・姪婚だった。そこまでして守りぬいたその純正の青き血は、恐るべき濃縮度で王朝を蝕んでゆく。お家断絶は次の代へと迫っていた。
ディエゴ・ベラスケス Diego Velázquez
1599~1660 印象派を先取りしたタッチが後世の画家を驚嘆させた。現在開催中の「プラド美術館展」には7点が来日中。必見。
中野京子 Kyoko Nakano
作家・独文学者。2017年「怖い絵展」特別監修者。『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』(光文社新書)。